2000年平和への誓い

中島昭雄さん(73) 当時18歳、爆心地から2.8キロの片淵一丁目で被爆。

平和への誓い

2000年平和への誓い

2000年平和への誓い

中島昭雄さん(73) 当時18歳、爆心地から2.8キロの片淵一丁目で被爆。

『慰霊から平和の発信へ』

 爆心地から二・八キロメートルの地点で被爆した私は、当時十八歳でした。
 この中心地、上空五百メートルで炸裂した一発の原子爆弾は、一瞬のうちに七万四千余の尊い生命を奪っただけでなく、辛うじて一命をとりとめた人々にも心と身体に生涯消えることのない深い傷跡を残しました。ここ浦上原子野の地獄絵図は、今だに脳裏に焼きついて離れることができません。それは私たちが背負って行かねばならない宿命なのです。
 しかしながら、世界には未だに人類を絶滅させるに余りある膨大な核兵器が保有され、他方では地域紛争の多発、飢餓、難民、人権抑圧、環境破壊など平和とは程遠い現実が存続しております。私たち長崎市民は、原爆の恐ろしさを身をもって体験したものとして、核兵器廃絶の先頭に立つことが被爆都市の責務として世界に向けて原爆の悲惨さを伝え、恒久平和の実現を訴え続けて行かなければなりません。
 平成七年の被爆五十年目の一つの区切りをつけて、『慰霊から、平和への発信(進)、平和は長崎から』のメッセージを送り、地元での諸行事に取り組んでまいりました。さて、みたまたちの中には、この丘の下を流れる浦上川で水を求めて数多くの方々が亡くなられました。私たちは、今晩、平和の発進行事の一つとして「浦上川万灯流し」を実施いたします。一千の万灯は、平和の「ともしび」となって永遠に流されることになります。そして、それは私たちの次の世代へと受け継がれ、永く、永く実施されるものと信じます。世界平和実現の悲願が達成できますことをひたすら念じて、世界の人々へ呼びかけ、平和の誓いといたします。

青い空は青いままで、子どもらに伝えたい
すべての国から、戦さの日を消して
平和と愛と友情の、生命の輝きを
この堅い握手と、歌声にこめて

平成12年8月9日

被爆者代表 中島昭雄