「黒い雨」被爆者の認定の参考となる二つの雨域(広島市と弁護団の資料をもとに作成)

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私たちは被爆者だ 岩永千代子と被爆体験者の闘い(6) 『再提訴と「黒い雨」判決』救済策で広島と溝

2024/08/07 掲載

「黒い雨」被爆者の認定の参考となる二つの雨域(広島市と弁護団の資料をもとに作成)

『再提訴と「黒い雨」判決』救済策で広島と溝

 長崎の被爆体験者387人が被爆者認定を求め、国などを相手に起こした第1陣訴訟は2017年12月、最高裁で敗訴が確定した。
 「これは遺言。この病気は原爆のせいよね」。原告団長の岩永千代子(88)の脳裏には、そう言って亡くなった仲間たちが浮かんだ。約3カ月後、原告だった人に再提訴を呼びかけ、第2次全国被爆体験者協議会が発足。被爆者健康手帳と、特定の疾病に診断されると被爆者手帳に切り替わる第1種健康診断受診者症の交付を県と長崎市に申請し、いずれも却下された。
 18年6月、体験者28人は却下処分の取り消しなどを求め、長崎地裁に再提訴した。爆心地から半径12キロ内で原爆に遭い、放射性物質に汚染された物質を体内に摂取したと主張。米国が原爆投下後に測定した放射線量の記録などからも「『放射能の影響を受けるような事情の下にあった』3号被爆者だ」と訴えた。
 この間、第2陣161人が起こした同種訴訟は一、二審とも退けられ、19年11月、最高裁で敗訴が確定。このうち16人が再提訴し、44人での闘いが始まった。
 一筋の光が見えたのは21年7月。広島の「黒い雨」被害者に対する広島高裁判決は「原爆の放射能により健康被害が生じることを否定できないと立証すれば足りる」とし、84人全員を被爆者と認定。空気中の放射性微粒子の吸引や、水や野菜の摂取などで「内部被ばくによる健康被害の可能性がある」と指摘。国は上告を断念し、救済策の検討に入った。
 「自分たちも同じだ」。長崎の被爆体験者も期待を膨らませた。千代子は判決を言い渡した裁判長に手紙を書き「長い長いトンネルにいたが、光をもらった」。これでみんな救われると信じた。
 同年12月、国が示した黒い雨被害者への新基準案。体験者は対象外とされた。敗訴した最高裁判決が確定し、長崎の被爆未指定地域で「黒い雨」が降った客観的記録がないという理由だった。
 千代子はあぜんとした。「広島と長崎を分断する大きな溝を国が作るようなもの。広島だけが救済されるなんて『すべて国民は法の下に平等』という憲法と矛盾する」。反発をよそに、国は22年度から「黒い雨」被害者への新基準の運用を開始。広島の爆心地から40キロ地点で被爆した「黒い雨」被害者も救済対象になったのに、長崎の爆心地から12キロ内で原爆に遭った体験者は認められない。千代子の目には「新たな差別」と映ってならなかった。
 内部被ばくの健康被害の可能性を認めた広島高裁判決が希望であることに変わりない。しかし、高齢で活動できる原告は少なくなり、千代子の気持ちは焦りと期待の間を行き来するようになった。
=文中敬称略=