希望を持っていた最高裁でも敗訴が確定し、千代子(右から2人目)らは言葉を失った=2017年12月18日、最高裁前

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私たちは被爆者だ 岩永千代子と被爆体験者の闘い(5) 『確信と絶望』真実なぜ見極めない

2024/08/06 掲載

希望を持っていた最高裁でも敗訴が確定し、千代子(右から2人目)らは言葉を失った=2017年12月18日、最高裁前

『確信と絶望』真実なぜ見極めない

 2011年3月、東日本大震災と東京電力福島第1原発事故が発生。原子力や放射線に対する国民の不安の高まりを背景に、黒い雨や灰などの放射性降下物による内部被ばくの健康影響が長崎の被爆体験者訴訟の争点に加わった。
 環境省によると内部被ばくは、飲食で放射性物質を取り込んだり、空気中の物質を吸い込むなどして起こる。体内から放射線を受けることになり、臓器や組織でがんなどを引き起こす可能性がある。
 第1陣原告団の中心だった岩永千代子は、福島の原発被災者を支援する被爆2世の平野伸人らから話を聞き、講演会などに参加。内部被ばくへの理解を深めた。
 千代子は450人以上の聞き取りを経て、異なる地区で原爆に遭ったにもかかわらず、類似した証言があることに違和感を抱いた。雨などが降った東長崎・間の瀬地区の男性と、灰を集め売っていた西彼時津町子々川郷の男性は、それぞれ「一晩で腹部が膨れて死んだ」。一方で、多くの体験者が原爆投下直後、黒い雨や灰などが降った場所にいた。その後、普段通り井戸の水を飲み、畑の野菜を食べていたという。千代子の違和感は少しずつ確信に変わり「私たちも内部被ばくしたはず。この恐ろしさを伝えないと」。
 訴訟で体験者側は、被爆者援護法で3号被爆者と定義される「原爆放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当すると訴えていた。さらに「放射性降下物を含む水などを摂取したことで内部被ばくを起こした」とする主張が注目を浴びた。これに対し、国などは「放射性降下物による健康影響は認められない」と反論した。
 12年6月の第1陣一審判決。長崎地裁は「被爆者と認めるに足りる証拠はない」と体験者側の訴えを退け、科学的知見に基づく立証責任を求めた。一方で内部被ばくの健康影響への判断は示さなかった。「真実をなぜ見極めないのかと。あの時は憤った」。千代子は顔をしかめ振り返る。
 16年2月の第2陣の長崎地裁判決では、原告161人のうち10人が被爆者と認められた。「今後に弾みがつく」と喜んだが、17年12月、第1陣の最高裁判決は「敗訴」。朝から楽しく雑談した仲間は、ひと言も発さなかった。
 提訴から10年。長崎で原爆に遭いながら、地域の違いで「被爆体験者」と区別され、「被爆者」と認められない。「南北に細長い、いびつな地形に合わせて放射線が降ったとでもいうのか」。悔しさ、もどかしさ、亡くなった仲間への申し訳なさが入り交じり、千代子は「崖崩れみたいに」自信を失った。