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ともに歩む 長崎被災協のこれから【横山照子さんに聞く現在地】 老い、核の威嚇に焦り 一方通行ではなく若者と一緒に

2024/01/07 掲載

老い、核の威嚇に焦り 一方通行ではなく若者と一緒に

 長崎市の被爆者団体「長崎原爆被災者協議会」が来年の被爆80年と、その先の「被爆者なき時代」を見据えたプロジェクトを本格化させる。その背景や思いとは。長崎被災協で半世紀余り活動する被爆者の横山照子副会長(82)に、被爆79年目の現在地を聞いた。

 〈被爆者の平均年齢は昨年、85歳を超えた。4年前の被爆75年の節目とは状況が大きく異なるという〉
 被爆80年は本当に大きな節目。一番若い被爆者でも80歳で、動ける人が限られるし、原爆の実相をきちんと伝えられる記憶がある人も何人残っているか…。これは全国の被爆者団体の課題でもあるけれど、どこも結論は出ていなくて、どん詰まりにきている。
 被爆75年はまだ精神的に余裕があって、自分も「被爆者の思いを残さなきゃ」と思っていた。でも私自身が80歳を境に、目や耳、腰や首の不調が続き、体力的な限界を感じる。この2、3年で亡くなった人や活動できなくなった人は多い。証言や核兵器廃絶運動を支える「縁の下の力持ち」がいなくなっている。でも被爆地の被爆者団体としては展望を持っていないと。自分たちでやれないなら、やってくれる人を早くつくらなければいけない。

 〈被災協は今年から▽これからの組織・在り方▽世界に向けた広報▽被爆80年の取り組み-の三つのプロジェクトを本格化。国内外で核兵器の存在を肯定する核抑止論が力を持つ中で、「焦り」があるという〉
 昨年の初めごろ、私と柿田さん(柿田富美枝事務局長)で話し、「難しい現状だけど何とかしないと」という感じから始まった。やはり大きいのは二つの戦争(ロシアのウクライナ侵攻と、イスラエルとイスラム組織ハマスの戦闘)。今まで、まさか核兵器が使われることはないと思っていたけど、現実の問題になってきた。核被害がどういうものか、世界の人々に分かってもらわなきゃいけないという思いがある。
 被爆者が死んだ後の世界がどうなっているのか、本当に怖い。今でもロシアやイスラエルは、核兵器を使うということを、ぽろっと軽々しく言ってしまう。核兵器禁止条約(2021年発効)も、被爆者が1970年代ごろから国連に「核兵器禁止の国際協定を」と一貫して働きかけて、ようやく実現したのに、日本政府は見向きもしない。被爆国なら真っ先に署名してくれるはず、という期待が裏切られた。それどころか今後、被爆者もいないから核兵器を持ってもいいのでは、と日本政府が言い出すのではという不安すらある。本当に焦っている。
 〈被災協は今月11日に記者会見を開き、若い世代を含めてプロジェクトの協力者を広く募る予定。キーワードは「双方向」だ〉
 核兵器の問題は被爆者だけでなく、これから先の未来を生きる人たちの問題でもある。被爆の実相という原点を分かってもらうことが、私たちの最後の務めじゃないかと。戦争や原爆で子どももお年寄りも死ぬ。それが80年前に起こったこと。生き延びても、原爆は苦しい健康問題や差別を残し、一生を台無しにする。核兵器がある限り、いつ何時、同じことになるかもしれない。それは自分の問題だと実感してほしい。
 でも今までは被爆者からの一方通行というか、発信を受け止めてくださいという感じで言ってきた。今後はそうではなくて、若い世代や世界にどうすれば伝わるのか、若い人の感性や情報発信の方法も、私たちに教えてほしい。
 被爆80年から先の被爆者の活動というのは、皆さんと一緒になって考えていきたい。それが今回のプロジェクト。一緒に歩き、先を見定め、どんな形で後を引き継いでもらえるのか。それを真剣に考える年にしたい。