「いずれ被爆者ゼロ」 活動存続へ被爆80年PT始動
この日も妙案は見つからないままだった。1カ月余り前。長崎市の被爆者団体「長崎原爆被災者協議会」の会議室で、役員たちが険しい表情を浮かべていた。テーマは「これからの被災協」。中核を担ってきた被爆者が年老い、減り続ける中で、組織や活動をどう続けていくのか-。おのずと突っ込んだ話になった。
「劇的に変えないと組織がもたない」。口火を切ったのは、被爆者相談所長の中川原芳紀(74)。生協役員を退職後、被災協運営に加わり、理事15人の中で唯一、被爆者や被爆2世ではない。「会員や役員の範囲を広げ、協力してくれる一般の人も迎え入れることは検討に値するのでは」
現会員は約2千人。「数万人」とされるピーク時から10分の1以下に減った。今の定款で「正会員」は、県内の被爆者と遺族、被爆2・3世、被爆者団体に限定。それ以外が対象の「賛助会員」は増えず、役員就任も制限されている。中川原は定款変更も含め、運営に“外部”の人材を加える必要性を説いた。
やんわりと異を唱えたのは、事務局長で被爆2世の柿田富美枝(70)だった。「会の名前通り、会員は原爆被災に関わる人でないといけないと思う」。外部の協力者に力を借りることに賛同する一方、「だんだん時が流れて(被爆者より)そっちの方が多くなるのも怖い」。被災協に約30年勤める柿田も被爆者の減少を痛感しつつ、「組織を守りたい」との思いが大きな変化をためらわせた。
「時間はない」「慎重に検討を」…。“誰を入れるのか”との議論が平行線をたどる中、副会長で被爆者の横山照子(82)が「県外には被爆者団体のそばで、活動を支援する会がある」と視点を変えた。
団体の衰退は全国共通の課題。被爆者数が少ない県外の団体はむしろ、長崎の未来を先取りしている。横山が示したのは、北海道で被爆者団体を支えるため、被爆2世に一般市民も交えて近年発足した「被爆二世プラスの会」。こう言葉を継いだ。「いろいろな形があるけれど、とにかく被爆者と一緒に歩いてくれる人、活動してくれる人をつくらないと」
1時間余りの議論を、会長の田中重光(83)がまとめた。「被爆者は加速度的に亡くなり、あと3年、5年もすれば半分になる。支援者を被爆者と同じ会員にするのか、支援する会として別にまとめるのか。もっと意見を交わそう」
そして、根源的な問いは被爆79年目に持ち越すことになった。「いずれ被爆者はゼロになる。その時に被災協は残せるのか、どうするのか」
=文中敬称略=
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長崎県内最大の被爆者団体「長崎被災協」が、活動存続の岐路にある。来年の被爆80年に向け▽これからの被災協の組織・在り方▽世界に向けた広報活動▽被爆80年の取り組み-の三つのプロジェクトチームを設置し、既に動き出している。被爆者は誰と、どこへ、どう歩むのか。被災協の今とこれからを追う。