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核抑止に向き合う 長崎から問う被爆国の針路・4 【国際司法裁判所】 「一般的には違法」と判断

2023/08/03 掲載

 1995年11月、オランダ・ハーグの国際司法裁判所(ICJ)。「この子どもたちに何の罪があるのでしょうか」。長崎市の伊藤一長市長(当時)は長崎原爆の犠牲となった「黒焦げの少年」の写真パネルを示し、核兵器の使用は国際法違反だと涙ながらに訴えた。
 当時、市国際文化会館係長で随行した永田博光さん(72)は「市長は『(自分の)幼い娘の姿が浮かび、つい涙が出た』と話していた」と振り返る。
 ICJで核兵器の国際法上の位置付けが初めて審理されることになり、伊藤市長は日本政府の証人の一人として法廷に立った。その訴えに傍聴席からは女性のすすり泣く声が聞こえ、裁判長は「感動的な陳述に感謝する」と異例のコメントを添えた。
 審理の過程で、米国やフランスなど核保有国は、条件付き合法論や、司法判断にはなじまないとする「門前払い」を訴えた。日本政府を代表して陳述した外務省の審議官は「国際法の思想的基盤にある人道主義の精神に合致しない」と述べたが、米国の「核の傘」への配慮から「違法性」への明言を避けた。
 陳述文を起案することになった永田さん。法律の知識はなかったが、専門書に目を通し、同僚と国際法について調べた。参考にしたのは、非戦闘員の保護を主な目的とするジュネーブ条約第一追加議定書(78年発効)だった。陳述文では、核兵器の「非人道性」を訴えつつ、「文民への攻撃」「不必要な苦痛を与える」「環境を破壊する」ことを違法の根拠に挙げた。
 96年7月、ICJは審理の結論となる勧告的意見を発表。伊藤市長の訴えに沿うように「核兵器の使用、威嚇は国際法に一般的に反する」と画期的な判断を示した。だが国家の存亡にかかる極限状況での自衛手段としての使用や威嚇については結論を出すことを避けた。その上で「核軍縮交渉を誠実に行い、完結させる義務がある」と強調した。
 ICJの勧告的意見は世界の平和運動家や法律家などが「世界法廷運動」として国連に働きかけ、実現したものだった。運動に携わった長崎原爆被災者協議会の横山照子副会長(82)は、「非人道的な兵器だと認めてくれたのは大きかった」と意義を強調する。
 勧告的意見を踏まえ、97年に非政府組織(NGO)が核兵器禁止のモデル条約案を発表。賛同する非保有国も加わり、非人道性を巡る議論が活発化。核兵器禁止条約への流れが生まれていく。