「飽食」の今 想像難しく
戦中戦後の食事風景とは-。70年以上前の“リアル”に少しでも近づこうと、長崎市の料理研究家、脇山順子(85)を訪ねた今回の取材。再現した食事を食べた子や孫らは、どう受け止めただろうか。
「話を聞いて想像を膨らますけど、そこには到底及ばない。価値観が全く違うし…」。そう本音を語ったのは孫の雛子(34)。「飽食の時代」と呼ばれ、栄養過多が問題になる現代ではむしろ、ダイエットや消化器官を休める目的で「ファスティング(断食)」なども注目される。質素な食事は「体が整うな、という感覚でしか捉えられない」と言う。
孫の光太郎(24)も「戦時中の食べ物として出されても何か『珍しい食べ物』みたいな感じ。物々交換で食べ物をもらった話もあったけど、今はコンビニで何でも買えるし、あまりイメージが湧かない」。
一方、終戦から約20年後に生まれた順子の長女陽子(57)は「ついこの間まで戦争が起こっていたんだなって。ちょっとしか時間がたっていないのに価値観も生活スタイルも全然違う。自分の子や孫の世代が、こんな目に遭わないようにしないと…」と語った。
記者(29)も雑炊やサツマイモ汁粉を味わったが、順子の孫世代と同じような感想を抱いた。明るく近代的な食卓で味わう戦時食。料理の腕もあっただろうが「素材の味が生きていておいしい」としか思えない。米を一粒一粒食べてみたが時間がかかるだけで、もどかしい。70年余り前の食卓は、自分の中でうまく像を結ばなかった。
事前取材で、順子が記者に語った記憶がある。「当時は『灯火管制』といって、敵機に家の光が見えないように裸電球に黒い布をかぶせた。ひそひそ話をしながら、こっそり生きていた感じ。食事も黙々と食べていたのよ。コロナ禍での『黙食』と、どこか似ている。平和な時代を過ごしてきた人たちに、今はストレスでしょうね」
戦中戦後の食事や暮らしの苦悩は、コロナ禍とは比べものにならないくらい厳しかったはず。それでも、当たり前に集い、笑い、しゃべり合う日常が奪われたコロナ禍の時代にも、戦争を考えるヒントはあるかもしれない、と思う。
「何を食べるか」ではなく「食べられるかどうか」という意味で、食と命が直結した時代を生き抜いた順子。今も料理研究家として、社会や家族に食の大切さを伝え続ける。順子は言う。「私が何げなく語ったことが子や孫の中に積み重なって、何かの時にぱっと思い浮かんで行動につながればいいな。だから会食って大事よね」
戦後世代の私たちは、「体験」もなく「想像」することも難しく、戦争を語ることは容易ではない。平和な現代に、80年前に起きた戦争の話を体験者から聞くのはなかなか大変だ。話が長くなることも、時系列が乱れることもある。
語る言葉を持つ戦争体験者が年々減る中で、私たちは記憶をどうつないでいけるだろうか。帰省した時、電話をした時、食事の時…。ちょっとだけ耳を澄ませてみたら、次の世代に伝えるべき「言葉」が得られるかもしれない。
=文中敬称略=