【懸命】大病越え 強く生きる
長崎市内の被爆者、山口キク(95)は1957年、31歳の時に被爆者健康手帳を取得した。元から体は強い方ではなかった。幼少期は胃腸が悪く、よく母が負ぶって病院に連れて行ってくれていた。
被爆者として正式に認められ、医療費は無料になったが、手帳をもらったことで、恐怖心が芽生えた。「これからどんな病気になるのか」。手帳をもらえず、ほしいと思っている人がいることも知っていた。でも、不安だった。
「手帳を持っているといろんな人から非難されるかもしれない」と思い、周囲にもあまり言わなかった。
40代、夫が単身赴任していた約7年間、5人の子どもたちを懸命に育てた。ただ、脳裏には被爆後に無月経が続いた日々。
「子どもたちが病気しないだろうか」。原爆の後遺症が気掛かりだったが、それぞれ立派な社会人になった。「元気に育ってくれたのが何より」だった。
子育て後は、大きな病気をすることもなく、国内外で巡礼の旅に出るなどして元気に暮らしていた。しかし、72歳になって体に異変が起きた。
「腰が痛い」。医療機関を受診すると、腰骨を圧迫骨折していた。約2週間入院したものの、その後も夕方になると熱が続いた。再度受診して、圧迫骨折した箇所に結核菌が入り込んでいたことが分かった。結核病棟に約8カ月入院した。
キクには心当たりがあった。「校舎の下敷きになった時に、腰を打った」。その時の影響かもしれない。原爆に遭ったときのことが頭から離れなかった。医師も「被爆後に寝込んだ時、結核に感染した可能性もあるのではないか」と言っていた。
腰の骨に結核菌が入ったことで、背中側の腰の骨の一部が飛び出てしまった。あおむけに寝ると、骨が圧迫され、激痛が走る。「しんどい。痛い…」。横向きでしか寝られなくなった。
75歳で乳がんも患い、右胸を全摘出した。どちらも、被爆の影響かは分からない。腰の痛みで、眠れない夜もある。でも、「イエズスさまの十字架よりも自分の痛みはしんどくないから」。
ただ、手帳を手にした時の「不安」は消えていた。きっかけは腰を患ってから。手帳があったから、安心して医療支援を受けられた。懸命に治療してくれる医療従事者、そして支えてくれる家族のありがたさも実感した。いつしか、不安よりも、感謝の気持ちが強くなった。
原爆や大病を乗り越えて95歳になったキクが思うこと。それは「自分(の気持ち)を弱くしたら駄目。強く生きないと」。
(文中敬称略)