被爆・戦後75年 本紙連載(2020年11月12日~)
戦後、街中には戦争や原爆で親を失い、路頭に迷った子どもたちがあふれていた。終戦から2年後、本県で最初の県立孤児院(後の児童養護施設)として開設された向陽寮(現在は光と緑の園 向陽寮)。多くの戦争孤児を引き取り、社会に送り出したが、当時の記録はあまり残っていない。愛情に飢えた子どもたちに家族のぬくもりをどう伝えたのか。初代寮長の手記や元寮生らの話を基に戦後福祉の足跡をたどった。
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2020/11/12 掲載
戦後、街中には戦争や原爆で親を失い、路頭に迷った子どもたちがあふれていた。終戦から2年後、本県で最初の県立孤児院(後の児童養護施設)として開設された向陽寮(現在は光と緑の園 向陽寮)。多くの戦争孤児を引き取り、社会に送り出したが、当時の記録はあまり残っていない。愛情に飢えた子どもたちに家族のぬくもりをどう伝えたのか。初代寮長の手記や元寮生らの話を基に戦後福祉の足跡をたどった。