【模索】「希望の光」激励胸に
今月、長崎市内。永遠の会の山下恵子(62)が、自宅で時計を手に朗読原稿を繰り返し読み上げていた。9日の長崎原爆の日に、長崎原爆資料館で朗読する被爆者の体験記をまとめたものだ。手記は自身で選び、朗読が15分の持ち時間内に収まるよう、プログラムの構成を何度も練り直して原稿を仕上げた。話す時の抑揚やアクセントにも注意を払う。
同会は小中学校への派遣などに加え、毎年8月9日には平和祈念式典の様子が中継される同資料館と長崎ブリックホールの2カ所で、一般来場者向けの朗読会を続ける。被爆75年の今年は同資料館が山下、同ホールが森下美由紀(45)の担当だ。
山下は、被爆医師の永井隆(故人)が子どもたちの被爆体験をまとめた「原子雲の下に生きて」などから題材を選んだ。「皆さんが原爆のことを考える祈りの日に朗読できることに感謝したい」と言う。森下は広島、長崎の両方で原爆に遭った二重被爆者、山口彊(故人)の短歌や体験談を織り交ぜた内容。「苦しみながら後世に残してくれた(山口の)思いをしっかり伝えたい」と考えている。
同会のメンバーらには、忘れられないエピソードがある。旧制県立長崎中で学び、福岡女学院名誉院長などを務めた徳永徹(故人)との出会いだ。
熊本で終戦を迎えた徳永は、故郷長崎で原爆の悲惨さを目の当たりにする。自身の体験をつづった本などの出版を重ね、平和について問い掛けた。2016年、国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館が開いた座談会に招かれたことが縁で、同会と交流。当時89歳と高齢ながら、後日、福岡の学生を連れて朗読を聞きに来てくれた。
著書「原子雲のかなた-新しい出会いと繋がり」に、徳永はこう書いている。「被爆1世と呼ばれる人たちが確実にいなくなっていることが実感された。あらためて、永遠の会のような人々の役割が大きいことを思った」。被爆者の思いをつなぐ同会の活動を「希望の光」と激励してくれた言葉は、メンバーらの大きな支えだ。
「来たよ」。山下は同祈念館に足を運ぶといつも、原爆に命を奪われた母親の兄=当時(14)=の登録遺影を専用端末で検索する。まだ幼さが残るその表情に原爆の残酷さを思う。伯父への追悼の思いも込め、9日の朗読会に臨む。(文中敬称略)