【感謝】他人を思いやる心を
毎年、春から夏にかけて特に忙しい。だが、今年はコロナ禍でゆっくりせざるを得ない。「ガイドで歩かないから足が遅くなって大変」。三田村静子(78)は冗談めいた口調で嘆いた。
長崎市内に夫嘉夫(74)と2人で暮らす。かつては「一歩も二歩も下がって黙ってついていく妻」だったが、今は「何でも話せる仲」。平和ガイドの活動も一緒に取り組んでいる。
「妻は被爆体験がある。私も知らない苦労をたくさんしてきたはず」。戦後生まれの嘉夫は、妻に直接その話を聞いたことはない。定年後、妻の体験が基になった紙芝居の原稿を読み、初めて詳しく知った。結婚する時も「放射線の知識はなく(被爆者かどうか)気にもしていなかった」と話し、続けた。「妻は強い人間ですよ」
静子はがんに4度侵され、最愛の娘もがんで失った。そのたびに放射線の影響を疑った。見えない不安に一生覆われたままだ。ただ皮肉にも、その不安の下で感じた命の大切さを伝えることが今、夫婦の生きがいにもなっている。
修学旅行で訪れた子どもたちに静子はいつも、優しくこう語り掛ける。
「あなたが生まれてきた時、みんなが喜んだ。あなた1人の命じゃないんだよ」「戦争で亡くなった人は生きたくても生きられなかった。とにかく生きてちょうだい」
原爆は人間が考え、人間がつくり、人間が落とした。だから最後は他人を思いやる心さえあれば、と思う。きれいごとかもしれない。それでも、そう信じ、多くの子どもたちに託してきた。「世界の人たちに伝えてください。次はあなたたちの番よ」と。
長女美和の命日だった6月19日。静子はいつものように市立城山小の平和祈念館の受け付けに座り、いつものように穏やかな笑顔で迎えてくれた。記者が尋ねる。今、美和さんに伝えたいことは-。
「一生懸命生きているよ。ありがとう」。そう答えた。休み時間に入ったのか、窓の外から児童の元気な声が近づいてきた。「平和を続けないとね、この子たちのためにも」
8月から活動が再開し、スケジュール帳は少しずつ埋まり始めた。やっと夏がきた。
(文中敬称略)
=おわり=