三田村さん(左)から制作に込めた思いを聞き、山口さんの目から涙がこぼれた=長崎市、長崎原爆資料館

三田村さん(左)から制作に込めた思いを聞き、山口さんの目から涙がこぼれた=長崎市、長崎原爆資料館

ピースサイト関連企画

被爆・戦後75年 静子の紙芝居 思い託されて・5 【叫び】この世に存在した証し

2020/08/04 掲載

三田村さん(左)から制作に込めた思いを聞き、山口さんの目から涙がこぼれた=長崎市、長崎原爆資料館

三田村さん(左)から制作に込めた思いを聞き、山口さんの目から涙がこぼれた=長崎市、長崎原爆資料館

【叫び】この世に存在した証し

 3年ほど前、三田村静子(78)の元に1通の手紙が届いた。差出人は以前、修学旅行の引率で長崎に来た県外の女性教諭だった。
 精神的な病を抱え、自殺未遂を図ってしまったという女性。手紙にはこうつづられていた。
 「最後の最後で三田村さんの顔と優しい声が聞こえてきました。『そんなことをしたらだめですよ』って」
 「一生懸命生きていきます」
 紙芝居や講話を通じて、ずっと語ってきた「命の大切さ」は確かに伝わり、一人の人間に生きる力を与えた。心配や驚きと同時に、自分のやってきたことに確信を持つことができた。
 すぐに返事を送った。
 「人生いろいろあるけど、生きていたら何かいいことがあるから」
 自分の歩みを振り返っての本音だった。
 今年の夏に向け、静子は新作を仕上げた。題材は、長崎への原爆投下翌日、爆心地付近で撮影された「黒焦げの少年」。原爆の悲惨な実相を伝える有名な一枚だ。7月中旬、出来上がったばかりの紙芝居を手に取った山口ケイ(80)=長崎市住吉町=は、感激の表情を見せた。
 山口は「黒焦げの少年」とされる谷崎昭治=当時(13)=の妹。4年前、少年の写真を専門家が解析し、昭治と同一人物である可能性が高いことが判明した。静子はそのニュースを見てから、悲しい最期を迎えた少年の人生に関心を持っていた。
 紙芝居を何度も見返し、「兄がこの世に存在していた証しになる」とほほ笑んだ山口。その横で、静子が制作に込めた思いを語り始めた。「声なき平和の叫びを全世界の人に聴いてもらいたくて」。山口はこらえ切れず、目頭を押さえた。
 「兄を思ってくれて、兄の思いを伝えてくれてありがとうございます」
 山口が兄と写真で“再会”した4年前、喜び合った2歳上の姉、美代子は昨年11月に亡くなった。「生きていたらどんなに喜んでいたか。一緒に見たかったな」。そう言って、首に掛けていた姉の形見のアクセサリーにそっと触れた。紙芝居には兄を思い続けた家族の愛情も詰まっていた。
 静子がこれまでに手掛けた紙芝居は20本以上。思いを託された代弁者として「叫び」続け、その声は海も越えて届けられている。
(文中敬称略)