【収集】散逸、廃棄に危機感
長崎平和推進協会が長崎原爆資料館に保管する約4千枚の被爆写真。6月、その中から旧城山国民学校の被爆校舎の一部が戦後に建て替えられたことを裏付ける一枚が見つかった。「新たな発見だ」。市職員は驚きと興奮を隠せなかった。
長崎原爆の実相を伝える資料の数々。ただ、関係機関や個人宅に眠ったままの資料も少なくないとみられ、「どこに何が残っているか全体像が把握できていない」。市民団体「長崎の証言の会」の山口響編集長(44)はこう指摘する。
被爆から75年。資料の廃棄、散逸の懸念を口にするのは長崎総合科学大の木永勝也准教授(62)も同じだ。木永は同大の一室に、「車いすの被爆者」として国内外に核廃絶を訴えた渡辺千恵子の遺品数千点を保管し、約4年前から学生とリスト作りを進めている。ただ、自身の退職後、いつまで大学で管理できるか分からない。被爆地広島の公文書館などを念頭に、「被爆者の各家庭にも貴重な資料が眠っているはず。それらを譲り受け、管理するための公文書館的な施設が必要ではないか」と収集、保存の強化の必要性を説く。
市も被爆75年事業として、被爆資料の収集強化に乗り出した。市内の被爆者約2万6千人に当時の日記や写真、書類、生活用品などの提供を呼び掛け、その結果、例年は年間で10件ほどの寄贈が、今年は7月中旬までに問い合わせが20件を超えた。ただ、市の担当者の表情は浮かない。「思っていたよりも少ない。1軒ずつ回るわけにも、無理やり譲ってもらうわけにもいかず、難しい」
被爆者運動をけん引してきた長崎の被爆者5団体の一つ、長崎原爆被災者協議会(長崎被災協)。地下室の棚には、歴代会長らのスケジュール帳や議事録などがびっしり詰まった段ボールが積み上げられている。山口や木永ら研究グループは本年度、これまで本格的に整理されたことがなかったこれら膨大な資料の調査に着手した。デジタル化し、後世に残す考えだ。「被爆者運動の動きが浮かび上がる資料が眠っているだろう」。山口は期待を込めて段ボールを見詰めた。
散在する資料の全体像をいかに把握し、どう保存していくか-。官民による「受け皿」の議論が求められる一方、たとえ受け皿があっても、処分されれば資料は失われていく。刻々と進む被爆者の減少。「時間がない」。関係者は危機感を募らせる。
=文中敬称略=