【地域】未来の平和を信じて
波静かな大村湾を望む東彼川棚町新谷郷にある「特攻殉国の碑資料館」。古いパソコンのモニターを、同郷総代の寺井理治(74)が見つめていた。戦争末期、旧日本海軍の水上特攻艇「震洋」の隊員として戦死した3511人のデータが入っている。
戦後生まれの寺井にとって見ず知らずの人たち。「だが一人一人が誰かの大切な人だった」。戦後75年がたった今でも時折遺族が訪ねてくる。総代として地域の自治会長的な役割を担う寺井はデータベースで検索し、該当者の所属部隊や戦歴を印刷して渡している。
全長5メートル余りの木造の小型艇に爆薬を積み、体当たりで攻撃した特攻艇「震洋」。同郷周辺に訓練所が置かれ、全国から集まった若者たちが“必死必殺”の訓練に明け暮れた。部隊の多くは出撃を待たずに敗戦を迎えたが、空襲などで3千人以上が命を落とした。
元隊員の呼び掛けで、訓練所跡地の同郷に戦死者の名を刻んだ「特攻殉国の碑」が建立されたのは1967年。以来、元隊員らでつくる「特攻殉国の碑保存会」が毎年、慰霊祭を営んできた。しかし、訓練所の元教官で、戦死者名簿の取りまとめや会員との連絡調整などを長年担ってきた西村金造が2012年に他界。保存会も、元隊員らの高齢化を理由に解散した。
多くの尊い命が奪われた戦争の記憶、そして平和を願った元隊員らの遺志を次代に伝えたい-。碑の管理や慰霊祭運営を引き継いだのは、同郷の住民たちだった。碑の近くに平屋の資料館を建設。金造が保管していた隊員の遺品や手紙、手記などの展示を始めた。
「高齢化した元隊員に代わり、地域が碑や資料を守っている例は珍しい。現在まで引き継がれているのは、戦死者と遺族を慰めようという原点を大事にしてきたからだろう」。金造の長男愼吾(73)=西海市=は、そう感謝の念を込める。
住民らは今、碑のそばに震洋の実物大模型を展示する準備を進めている。ネットを通じて必要な資金を募る「クラウドファンディング」を活用するなど、手法もユニークだ。まだ目標の500万円には届かず、いかに地域外や若い世代にも関心を広げていくか、課題は少なくない。それでも、「悲しみをこらえながら、勇ましく戦地に送り出した家族が帰ってこなかった。その無念を地域で受け継いでいくことが、未来の平和につながる」。寺井はそう信じている。
=文中敬称略=