山脇佳朗(85)の被爆体験や核兵器廃絶への思いは3人の「交流証言者」が受け継いでいる。このうち最も若いのが長崎純心大3年の松野世菜(せいな)(21)だ。
松野は中学3年の時、平和授業の一環で、JR長崎駅前の通行人に「8月9日は何の日か」と問うアンケートをした。回答者のうち、県外在住者で「長崎原爆の日」と知っていたのは約3割しかおらず、ショックを受けた。
高校3年時の2016年、被爆者の証言を語り継ぐ交流証言者を育成する長崎市の事業を知り、応募した。海外にも被爆の実相を発信したいと考えており、山脇を対象者に選んだ。
山脇は1年ほどかけて、戦争や家族のこと、これまでの人生を語り、講話の手法も教え込んだ。松野は17年6月、初めて講話を経験し、交流証言者として歩み始めた。
今年7月17日、長崎市矢上町の市立矢上小。松野が6年生を相手に講話していた。その姿を、教室の最後尾から頼もしそうに見詰める山脇がいた。
小学生にも原爆の悲惨さが伝わるように、松野は分かりやすい言葉や表現を使っていた。山脇は終了後、「相手のことを考えて話をしているのが分かった」と褒めた。松野は照れくさそうに「励みになります」と返した。
松野は今後、本格的に英語での交流証言に取り組む考えだ。山脇の思いは次世代に受け継がれつつある。
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7月末の昼下がり。山脇は長崎市稲佐町にある先祖代々の墓所を訪れ、父母が眠る墓にひざまずき、手を合わせた。
今年6月、山脇はこれまでの活動や平和への思いが評価され、8月9日の長崎原爆の日に「平和への誓い」を読み上げる被爆者代表に選ばれた。
平和への誓いでは、唯一の被爆国として核廃絶のリーダーシップを取るように日本政府に求めるつもりだ。世界各国には英語で核廃絶への協力を呼び掛ける。
これまで、山脇は父にわびるような気持ちで語り部を続けてきた。遺体を置き去りにして逃げたことへの後悔は、今も心の中にある。あのような悲しい思いはもう誰にもさせたくない。「長崎を最後の被爆地にする」との揺るぎない信念を胸に、8月9日、平和祈念像の前に立つ。
「父たちに気持ちが伝わってほしい」
そう言って、入道雲が広がる青い空を見上げた。(文中敬称略)