「象徴」を失うも前へ
1日、長崎市の火葬場。長崎原爆被災者協議会(長崎被災協)会長、谷口稜曄(すみてる)さん(享年88)の告別式を終え、納骨に立ち会った「長崎被災協・被爆二世の会・長崎」会長の佐藤直子さん(53)は、途方に暮れていた。翌2日、核廃絶運動の理論的支柱として慕われた土山秀夫さん(享年92)の訃報にも触れ、追い打ちを掛けられた。ただ、自分の中で少しずつ覚悟を固めていた。「これからは被爆者がいないことを前提に活動をする」
被爆体験の継承が喫緊の課題と言われ、2012年に2世の仲間と会を結成した。被爆70年の15年には長崎被災協が発行した証言集の編集に協力。被爆体験記を朗読するボランティア「永遠(とわ)の会」にも参加した。しかし、「まだ自分たちが先頭に立つ時ではない」と甘えもあったように思う。
実際、2世の会は広がりを見せていない。会員数は約80人で頭打ちとなり、常に活動しているのは10人程度。自分と同世代は仕事、子育て、親の介護と忙しい。なのに、無理に勧誘しても長続きはしない。「だからこそ私たちが見える形で行動し、継承の必要性を地道に訴えるしかない」。修学旅行生向けの被爆者の体験講話について、2世が語り部班を作って担えないか模索を始めるつもりだ。
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「被爆者の願いは、『ふたたび被爆者をつくらない』という言葉に集約される。その理念は私たちの未来を守ることであり、継承は2世任せではなく、多くの市民にも当事者意識を持ってもらう工夫が必要」。「被爆の記憶」を研究テーマとする広島市立大広島平和研究所教授の直野章子さん(45)はそう助言する。
日本原水爆被害者団体協議会(被団協)代表委員、田中熙巳(てるみ)さん(85)は「谷口さんと土山先生を失った影響は大きいが、長崎は2人に頼りすぎた面もある」と言う。
13歳の時に長崎で被爆した田中さんは、東北大教員時代に宮城県、現在暮らす埼玉県で被爆者運動に奔走。どちらも少人数ながら、活動を維持してきた自負がある。だからこそ、古里への期待を込めて呼び掛ける。
「長崎は原爆を語れる被爆者をまだ掘り起こせる。被爆者の願いを受け継ぐことができる若い世代が多いことも忘れてはいけない。たとえ『象徴』がいなくても被爆地なら前へ進めるはずだ」