核なき世界 出発点に
7月26日、長崎市中心部のアーケード。蒸し暑さが漂う中、被爆2世や若者ら約30人が核兵器廃絶を求める「ヒバクシャ国際署名」を集めていた。毎月1回の活動で、これまで多くの被爆者が率先して街頭に立ってきたが、この日は猛暑による体調不良もあって、1人しか参加できなかった。
被爆72年。被爆者は年々減少し、高齢化で以前のように活動することは難しい。自然と運動の担い手は2世、3世や若者たちに移っていく。それは戦後、被爆者が社会に訴えてきた核廃絶の願いと憲法9条の平和の理念を引き継ぎ、育てていくことでもある。
この日は、核兵器禁止条約が7月上旬に国連の会合で採択されて初めての署名活動だった。ニュースで採択を知ったという主婦や学生らが続々と署名をしてくれた。「どうして被爆国の日本は条約に参加しないの」。率直な疑問も聞かれ、被爆者の思いが社会に浸透していることをうかがわせた。
被爆2世で、長崎原爆被災者協議会事務局長の柿田富美枝(63)は、こうした疑問が「憲法を見詰め直すきっかけになる」と言う。憲法で戦争をしないと約束したはずの国が、究極の戦力である核兵器を禁止する条約に賛同しないという矛盾に気付けば、核廃絶を願う気持ちの「礎」に9条があると認識できるはずだから。
確かに9条の改正を求める被爆者もいる。しかし、彼らも戦争をしたいとは決して思っていない。ましてや72年前の被爆の惨状を再び引き起こすことは断じて許さないだろう。
先の大戦後、日本は戦争をすることはなかった。それは9条が歯止めをかけたという声もあれば、日米安全保障条約の抑止力が効いたという見方もあり、一つの答えを導くことは難しい。
ただ、「ノーモア・ヒバクシャ9条の会」の事務局を務め、長崎で被爆した吉田一人(85)=東京都杉並区=は、こうくぎを刺す。「もともと日米安保には『核』を認める文言は一つもない。にもかかわらず日本は米国の『核の傘』に依存し、いつしか核兵器による安全保障が実態となってしまった。それが問題だ」と。
「平和な世界に核兵器は存在しない」-。そう訴え続けてきた被爆者たちの声こそ、9条のあるべき姿を考える上での出発点となるのではないだろうか。
=敬称略=
おわり