安保が抑止、戦力明記を
「あそこから爆撃機のB29が飛んできて、落下傘を付けた原子爆弾が落ちたんだ」。長崎原爆被爆者の会長与支部長の西村勇(83)は7月19日、母校の西彼長与町立洗切小の教室で、窓の先の山を指さし、子どもたちに被爆体験を語っていた。
当時11歳。あの日は登校日だった。爆心地から6キロ離れた校舎のそばで目の前が真っ白になり、焼けるような熱線と爆風を受けた。
子どもたちには戦争や原爆は二度と繰り返してはいけないと訴え、同時にこう付け加えた。「でもね、北朝鮮はミサイルを何度も飛ばし、いつ戦争をしてもいいと言っているんだ」。子どもたちが緊迫した国際情勢を理解するのは難しいとも思ったが、今の平和が続く保障はないと気付いてほしかった。どうやって日本を守るか。それを決めるのは自分たちなんだと。西村は憲法9条で平和は守れないと考えていた。
長崎新聞社が2014年9~12月、国内外の被爆者を対象に実施したアンケート(388人回答)では、歴代内閣が違憲としてきた集団的自衛権の行使について安倍政権が同年7月の閣議決定で容認したことに14・2%が理解を示した。西村もその一人だった。
こうした考えは原爆被害の記憶が薄いか、または家族ら身近な人が犠牲にならなかった被爆者に多い、との見方が護憲派にはある。
しかし、西村は原爆投下の6日後に長兄と長崎市街地へ入り、焼け野原となった爆心地や、黒く焼けた牛馬の屍(しかばね)、焦土の臭いを克明に覚えている。親友は原爆投下の直前に長崎へ行き、そのまま帰ってこなかった。
平和や核廃絶を願う気持ちは人一倍強い。だが北朝鮮の核・ミサイル開発だけでなく、中国やロシアなどとの領有権を巡る対立もあり、北東アジアの緊張は続いている。そうした国々の態度は、かつて無謀な戦争に突入した日本と重なって映る。「話が通じない相手と向き合うために憲法を改正し、自衛のための戦力保持を明記しておくべきだ」
戦後、日本が戦争をしなかったのは日米安全保障条約による抑止力が働いたからだと思う。だから、米国の「核の傘」に依存することも仕方ないと考えている。
ただ、首相の安倍晋三が5月、9条に、戦争放棄をうたった1項と戦力不保持の2項を残したまま「自衛隊」の存在を明記すると表明したことに違和感もあった。「憲法で自衛隊を認めるだけで解決する話ではない。改憲そのものを目的とするのではなく、もっと深い議論が必要ではないか」
=敬称略=