順守が“国家補償”
1966年5月3日の憲法記念日。長崎市内で開かれた集会で、長崎の被爆詩人、福田須磨子=当時(44)=は「憲法と被爆者の権利」と題した自作の詩を朗読した。
「世界のどこの国にも比類のない 誇り高いその平和憲法が 舌の根も渇かぬ中から 勝手な理由をつけて切り崩されている」
自衛隊の存在を、武器を持ちながら軍隊ではないという「おかしな集団」と読み、米国に追従するだけの日本政府は苦しむ被爆者を救済する責任を果たそうとせず、「見殺し」にしていると痛烈に批判した。
福田は前年の11月3日、憲法公布から19年の集会でも憲法について語っている。当時20代前半だった被爆者の横山照子(76)は友人に誘われて、いずれかの集会に参加した記憶がある。横山は4歳の時に入市被爆したが、暗い原爆の記憶と向き合えずにいた。
視線の先にいた福田は原爆症に侵され、顔や手足に赤い斑点が広がっていた。周囲から「お化け」と呼ばれたという容姿は、同じ女性として見ていてつらかった。それでも真っすぐな視線で聴衆を見据え、憲法の平和の理念と人間らしく生きる生存権を主張しながら被爆者の援護を毅然(きぜん)と訴える姿は、横山の心に深く印象に残った。
原爆で右目が失明した父、幼いころ喉のリンパが腫れて声を失った妹、家族を必死に看病した母。家族はみな被爆者にさせられたが、「生存権なんてどこにもなかった」。憲法を軽視する政府に憤りを覚えた。
福田の言葉に導かれるように横山は被爆者として活動する決心をした。72年から長崎原爆被災者協議会の相談員となり、被爆者健康手帳や原爆症認定の申請を手伝ってきた。
横山は政府が憲法9条を順守することが、平和を願う被爆者や戦争犠牲者へのせめてもの”国家補償”になると考えている。だから条文の一字一句でも変えることは許せない。
そうした思いから、2007年4月に全国の被爆者らが9条を守るため「ノーモア・ヒバクシャ9条の会」を結成した際、呼び掛け人の15人に名を連ねた。
今年5月、首相の安倍晋三は9条改正に強い意欲を示した。同会は、これに対抗するため東京都で2年ぶりの会合を開いた。しかし、横山がそこで感じたのは、9条が置かれた厳しい現実だった。=敬称略=