韓国 怒りを原動力として
「責任を追及するという気持ちがあるのは当然だが、行為は70年前。次の世代は乗り越えなければならない」。米大統領バラク・オバマが広島訪問を検討していた4月21日、広島市長の松井一実は原爆投下への謝罪を求めない考えを示した。5日後には長崎市長の田上富久も同調した。
米大統領の歴史的な被爆地訪問を実現させようと、日本政府や被爆地のトップは、早々に責任追及の旗を降ろした。これに対し、元中国新聞記者で、広島市長を1991年から2期務めた平岡敬(88)は憤りを感じていた。「謝罪を求めず、ただ訪問してほしいという態度は無残に殺された死者への冒?(ぼうとく)ではないか。被爆地が軽々しく言うことではない」
オバマの広島演説は核兵器廃絶への具体的な道筋を示さず、日米同盟をアピールするだけの演出に見えた。米国の原爆投下は過ちだったと認める言葉もなかった。
現在、非核保有国が中心となり、核兵器の使用を禁じる条約の制定を求めている。平岡は、米国が原爆投下は間違いだったと認めることで、条約の法的な根拠が生まれると考える。被爆地には米国の責任を問う権利があり、広島と長崎が沈黙していては「原爆投下を許したと受け取られないか」と危惧している。それだけにオバマに対し謝罪を求めた韓国人被爆者の行動は、まっとうに映った。
戦後埋もれていた朝鮮人被爆者の問題を掘り起こしたのは、記者時代の平岡だった。65年から現地にわたり取材。70年に原爆症の治療のため密航してきた韓国人被爆者孫振斗(ソンジンドウ)=2014年8月死去=が、被爆者健康手帳の交付を求めた訴訟を市民有志とともに支援し、78年には最高裁で勝利した。
当時、平岡を取材に駆り立てたのは、植民地支配など日本政府の戦争責任を問いたいという思いだった。あれから約半世紀。政府が自らの過去と向き合ってきたとは言い難い。であるがゆえに米国の原爆投下責任を問えなかったのではないか。それは韓国の被爆者たちの姿とはまるで対照的だ。
7月11日、平岡は広島市の平和記念公園の韓国人原爆犠牲者慰霊碑に足を運んだ。市長時代に公園の外にあった慰霊碑を「差別」と指摘され、園内への移設を認めたことを思い起こしていた。
「彼らが抱いているのは過去に虐げられてきたという怒り。それは人間の行動の原動力であり、核抑止論に対抗する力や核兵器廃絶を求める強い意志となり得る。今の日本人にどれだけの怒りがあるだろうか」
慰霊碑と向き合い、天を仰いだ。=文中敬称略=