沖縄 広島訪問、感情癒やさず
7月2日、沖縄県の那覇空港から北へ50キロほど車を走らせると、左手に青く透き通ったビーチが開けてきた。日本屈指のリゾート地として知られる恩納村(おんなそん)。すでに梅雨明けしており、水着姿の観光客らが海水浴を楽しんでいた。海岸通りを途中で曲がり山間部の方へ向かうと、それまでとは明らかに異なる空間が目に飛び込んできた。
警察の規制線が道路脇の茂みに張られ、奥へつながる山道への入り口をふさいでいた。献花台が置かれ、花束や供え物が並んでいた。5月中旬、この場所で若い女性が白骨遺体となって見つかった。県警は米軍属の男を死体遺棄容疑で逮捕。その後、殺人容疑などで再逮捕した。
事件からひと月余りが過ぎたというのに地元住民らが1人、また1人と訪れ、手を合わせていく。男性会社員(62)はうつむいて言った。「私たちはいつになったら米軍基地の苦しみから解放されるのか」
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事件が発覚する前の5月10日、米大統領バラク・オバマが現職大統領として初めて被爆地広島を訪問することが明らかになった。もう一つの被爆地長崎も含め日本側には歓迎ムードが広がったが、米軍属の男が事件の容疑者として逮捕されると、沖縄は怒りと悲しみに包まれた。戦後、長崎、広島から沖縄に帰った被爆者がいる。原爆と基地-。二重の苦しみを抱えながら生きてきた沖縄の被爆者は、大統領の広島訪問に何を思ったのか。
「大統領が被爆の実相を知れば核兵器廃絶は一歩でも進むはず。広島訪問と演説は評価している」。沖縄から三菱重工長崎造船所飽の浦工場に就職し、被爆した沖縄県原爆被爆者協議会理事長の伊江和夫(87)=那覇市=は、オバマが原爆慰霊碑に黙とうする表情に心からの追悼の気持ちを感じ取った。
終戦後に帰郷した伊江は多くの島民と同じように米軍基地で働いた。「米国と生きるのが普通で、若いころから反米感情が強いわけではなかった」
一方、当時、長崎造船専門学校(西彼香焼村)の生徒で入市被爆した同協議会副理事長の與那嶺(よなみね)浩(88)=那覇市=は憤りしかなかった。「大統領の演説には悪いことをしたと認める素直さを感じない。基地問題も本気で解決しようとしていない」と吐き捨てた。
2人の受け止めは異なるが、共通する言葉があった。「大統領が被爆地を訪れようと、沖縄県民の米国に対する感情は癒やされない」
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今年5月27日、現職の米大統領が初めて被爆地広島を訪れた。被爆者団体が長年求めてきた「謝罪」は実現しなかったにもかかわらず、訪問や演説を評価する声が相次いだ。被爆71年。長い年月を経て、米国に対する被爆者の思いは変容したのか。国内外の被爆者の視線の先に映る「アメリカ」を追った。=文中敬称略=