高校生の平和活動
素顔を飾らず報じて
1月10日、JR長崎駅前高架広場で、ことし最初の若い声が響いた。「核兵器廃絶署名、お願いします」
1998(平成10)年のインド、パキスタンの核実験をきっかけに、反対署名を国連本部に届けてもらうため、長崎でスタートした高校生平和大使。2001年には、生徒自身が署名を集める高校生1万人署名活動実行委が結成された。
責任者の平野伸人(69)の指導も相まって活動の輪は全国に広がり、外務省は同大使を13年からユース非核特使に委嘱。14年には、ジュネーブ軍縮会議の全体会議で同大使が初めてスピーチし、国際社会での認知度も上がった。高校生の発信力は着実に増している。
■
「ステレオタイプ、紋切り型のことを並べていた」。元実行委の鳥巣智行(32)は当時の自分をこう語る。
01年8月の長崎新聞で、鳥巣の本音が紹介されている。「最初はテレビに映ることが目的だった」-。目立ちたかったが、注目を集めていたのは別の生徒。繊細で未熟。鳥巣は取り組みながらも揺れ、迷っていた。だから01年の紙面を「素直に語ったことを初めて書いてもらった。今でもあの記事がとても好きです」と語る。署名活動をしながら、建前でなく、本当の自分に向き合おうとしていた青春時代を懐かしく振り返る。
元実行委で現在は平野の事務所を手伝う藤本絵梨華(31)は、今の状況について「マスコミは、こういうコメントがほしいという意図で質問、誘導し、それに沿った発言を報じる。すると生徒は『こういう言葉が求められているんだ』と学習する。そしてマスコミは勝手にリーダーをつくり上げていく」と指摘する。
「若者はまじめ」という大人の価値観に沿い、核兵器廃絶という大きなテーマに挑む純粋な若者像にすべて当てはめてしまう”予定調和的”な取材になってはいないだろうか。
だが元実行委で第4代平和大使を務めた嶋田千佐子(32)は、報道が励ましとなった面も強調する。「当初、学校敷地内で署名を集めることも許されなかった。それを記事にしてもらい、活動しやすくなった」。ただ「過剰に書かれるのは嫌だった」とも。
「生徒が何を考え、悩みながら行動しているか、その過程こそ報じて」。あくまで自主的活動として取り組む高校生の素顔を飾らず、等身大の姿を伝えてほしいと元実行委メンバーは願う。それが後押しになるのだ、と。(文中敬称略)