ナガサキの視点 ポスト被爆70年 下

被爆者に寄り添い、活動を支えてきた柿田さん。「どうしたら2世が活動に参加してくれるか、みんなで模索している」と語る=長崎市岡町、長崎被災協

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ナガサキの視点 ポスト被爆70年 下 継承

2世団体 方向性模索

2016/02/09 掲載

ナガサキの視点 ポスト被爆70年 下

被爆者に寄り添い、活動を支えてきた柿田さん。「どうしたら2世が活動に参加してくれるか、みんなで模索している」と語る=長崎市岡町、長崎被災協

継承

2世団体 方向性模索

 被爆地で継承すべきこととして、被爆体験の記憶、被爆者運動や平和運動の教訓などが挙げられるが、取り組みの方向性は漠然としている。受け継ぐことをめぐり模索する被爆2世を取材した。

後 悔

 被爆2世で長崎原爆被災者協議会(長崎被災協)事務局次長の柿田富美枝さん(62)。一人でも多くの被爆者の体験をじっくり聞くこと。2世の仲間を増やすためのきっかけをつくること。それが被爆71年目の今、意識していることだ。

 1993年から長崎被災協に勤め、故山口仙二さんや谷口稜曄(すみてる)さん、山田拓民さんら被爆者運動の生き字引と仕事をしてきた。核兵器廃絶への情熱を絶やさない彼らの姿に「迫力」を感じる一方、高齢化の進行を実感せざるを得ない。

 2002年、日本原水爆被害者団体協議会(被団協)の一員として米国で証言することになり、事前に母の体験をじっくり聞いた。母は21歳の時、爆心地から3キロで被爆。急性症状とみられる下痢が続いたこと、多くの友人を亡くしたこと-。「戦争や原爆はいけない」と繰り返す母の姿に、柿田さんの中で継承者としての意識が芽生えた。

 12年に「長崎被災協・被爆二世の会・長崎」が発足し、被爆2世としての活動を本格化させた。母の体験を人前で語る機会が増えたが、「語るたびに、もっと詳しく聞いていればと後悔が募る」。年老いた90代の母に被爆当時のことをあらためて聞くことは、もう難しくなっていた。

 今はまだ、体力と気力を振り絞って頑張る被爆者に活躍してほしい。でも将来を見据え、被爆体験がない2世も志があれば、思いを受け継ぐことはできると確信している。

 二世の会は現在85人が加入。平和の願いを共有、発信するため、写真展や音楽イベントを開いている。活動の幅を広げるには会員を増やす必要があるが、仕事に子育てにと忙しい人も多い。広範な2世にもっと働き掛けないと増えそうにない。「現在の会員も会に関わるきっかけはさまざまだった。どんな働き掛けができるか、皆で考えたい」

任 務

 県被爆者手帳友の会にある「二、三世の会」も似たような悩みを抱える。

 会員名簿には125人が載っているが、平和公園の「長崎の鐘」を鳴らしたり被爆遺構巡りなどに参加したりするのは数人。被爆者の親が会費を納めるだけの”幽霊会員”が多い。

 代表の野口伸一さん(68)は「『会費を納めたがメリットがあるのか。なければ(会は)必要ない』と言われたことがある」と打ち明ける。他団体と一緒に、2世の実態調査などを県や長崎市に求めているが、実現の見通しは立っていない。だが弟が26歳の時に急性白血病で亡くなるなど身内の経験を踏まえ、2世にも何らかの健康影響が及んでいるとの疑念が消えない。

 まずは会員の意識を高めるために顔を合わせる場を用意し、しっかり組織体制をつくろうと考えている。「2世は親の被爆体験を語り継ぐ任務があるということをいま一度確かめたい」

契 機

 こうした団体に入っていない2世は被爆体験の継承をどう考えているのか。

 「日常生活で自分が被爆2世であることを特に意識することはない。ただ、原水爆や戦争、紛争などには敏感。これは父から受け継いだものだと確信している」。被爆者として長崎の証言の会などで活動し1月に85歳で死去した廣瀬方人(まさひと)さんの長男、雅志さん(58)=東京在住=は、反戦反核に対する感覚をこう語る。

 平和活動に傾注していた方人さんに対し「母を大事にする時間をもっとつくってほしいと思っていた。ただ、生き生き活動する姿は大したものだとも感じていた」。2世団体には入っていない。その理由は「日常の忙しさと団体の取り組みに対する知識不足」。2世団体に関わるには何らかのきっかけが必要だと考えている。

◎中村桂子 長大レクナ准教授/核兵器 思考する素地を

 「若者と継承」について、長崎大核兵器廃絶研究センター(RECNA)准教授で、同大教養教育の科目「核兵器とは何か」などを担当する中村桂子さんと考えた。

 「マスコミは核兵器などに関する学生たちの活動を取材する際、どの学生が被爆3、4世かを必ず尋ねる。だが3、4世にばかり注目する姿勢は、被爆者家族らが考えるべき特殊な問題として限定してしまわないか」-。中村さんは疑問を呈する。

 苛烈な体験をして心身に傷を負った被爆者に、その家族や子孫は最も近い存在。被爆の遺伝的影響の可能性という点でも、2~4世を原爆被害の当事者的な位置付けでみる向きはある。また、被爆者なき時代における使命や中心的な立場を、子孫に見いだそうとする側面もある。

 だが、地球規模で悪影響をもたらす核兵器は今、世界に約1万6千発もある。そして長崎で昨年あったパグウォッシュ会議世界大会で米ロ高官が「核兵器を今なくすと戦略的バランスを崩す」などと核兵器保有を正当化したように、残念ながら核抑止論は世界に浸透している。

 誰もが被害のリスクを負っているからこそ核兵器は人類の課題であり、被害者の視点だけでなく、より広範なアプローチが求められる。

 長崎大の授業では、「核兵器廃絶を目指すべき」などと決まった答えに導かないようにしている。世界情勢や核抑止の概念、核軍備管理の現状などを学びながら意見交換を通じ、学生が自分の頭で考えることに主眼を置く。結果、「核兵器はあってもいい」という考えを持ったり、核兵器が果たす機能やデメリットを理解した上で廃絶の必要を実感したりするという。

 「賛否はともかく、核兵器について思考する素地を社会に広げ、人々が何らかの意見を持つことが大切ではないか」と中村さんは考えている。

 被爆地の今後については、被爆70年の2015年が終わり、継承に関わる取り組みがさらに多様な形で自然発生的に動きだすとみており、「時は満ちてきた」と語った。

 ◎被爆者亡き後、惨状伝えて/家族交流証言活動 支援へ/長崎市

 被爆者がいなくなったとき、核兵器がもたらす惨状を誰が伝えていくのか-。長崎市は2014年から、被爆者の子や孫らが親や祖父母らの被爆体験を語る「家族証言者」として活動するのを支援する「語り継ぐ家族の被爆体験(家族証言)」推進事業に取り組んでいる。市は16年度から「家族交流証言」という形で、家族間以外の継承をより積極的に推進する。

 同事業の対象は▽被爆者の子や孫などの家族▽同居や団体活動などで被爆者と密接な交流経験がある人-。長崎原爆資料館の中村明俊館長は「心の傷など被爆後の人生を語ることで、より原爆の非人道性が伝わる。被爆者に直接関わりがある人が話すのは説得力がある」と被爆2世らが語る意義を強調する。

 被爆2世ら20~70代の男女16人が登録。市職員の手助けを受けながら、聞き取りをした被爆証言を記録・保存し、原稿の作成や講話に必要な技術の習得などに取り組み、語り部デビューをした人もいる。

 一方で、登録者数は目標の20人に届いていない。市は主な理由として「家族間の継承しかできないと思われている」ことを挙げる。そこで「交流」を前面に打ち出し、被爆者の子孫ではないが継承に関心がある人などにも参加を呼び掛け、被爆者との接点を創出することも検討している。

 市は登録者数を15~20年度で年間各10人、計60人増やす目標を掲げる。被爆者の語り部で組織し、年間1000件以上の被爆体験講話をこなす長崎平和推進協会継承部会の会員数(約40人)を念頭に置いている。中村館長は「継承活動を支える一つの核になっていけば」と話している。

 問い合わせは市被爆継承課(電095・844・3913)。