ビルマ戦 濃霧の中の突撃
東南アジア西端に位置する英植民地ビルマ(現ミャンマー)北部のバーモ。1944(昭和19)年12月中旬、約1200人の日本軍は、万単位の連合軍に包囲されていた。陸軍第十八師団の山砲兵第十八連隊第一中隊伍長、尾上宮雄は、濃霧に覆われたイラワジ川河岸の草むらで息を潜め、覚悟を決めた。残された道は正面突破しかない。死を悟った。
日本軍によるビルマの侵攻戦線。連合軍がインド・レドと中国・重慶を昆明経由で結ぶ新輸送路として建設していた「レド公路」を遮断しようと、尾上らはルート上の要所バーモで守戦に当たっていた。
「砲兵隊突撃」-。中隊長が叫んだ。軍刀や手りゅう弾を手に、兵が走りだす。喚声が帯となって突進する。先頭の兵が手りゅう弾を投げ込む。立て続けにすさまじい爆発音。
尾上は上官の教えを心の中で唱えた。「捕虜になるなら自決しろ」。機銃掃射の間隙(かんげき)を縫って前進した。
視界不良の霧の中、捨て身で迫る日本軍に、連合軍はうろたえ、そして撤退を始めた。やがて突破口が開け、尾上はそのまま茂みへ逃げ込んだ。心臓の鼓動を確かめ、実感した。「生きている」
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2015年11月、尾上は長崎市上戸石町の自宅で新聞を広げ、71年前の戦場を思い返していた。
「軍主導の政治に終止符」「歴史的転換」。新聞紙面は、ミャンマーの総選挙でアウン・サン・スー・チー率いる野党の政権交代が実現の方向となったことを伝えていた。過去の戦地が民主化へと歩んでいる。
「ミャンマーが民主主義を確実にしようとしている。その地で亡くなった戦友もきっと喜んでいる」。そして、こう続けた。「軍が主導権を握る政権は道を誤る。歴史が証明している」
「野砲兵第十二聯(れん)隊、山砲兵第十八聯隊『聯隊史編集委員会』」発行の「砲声」によると、ビルマ戦線では日本兵約19万人が犠牲となった。
「生きているからこそ証言ができる」。尾上は遠い記憶をたどり、語り始めた。(文中敬称略)
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太平洋戦争で戦場に赴き、復員後を生き抜いた人たちが、高齢により次々と亡くなっている。「日本の戦争」を戦場体験者から直接聞く時間は残り少ない。このため、連載企画「戦争の残照 旧日本兵の証言」はことしも随時掲載する。本県出身者ら元兵士は、戦場で何をしたのか。今の日本をどう見詰めているのか。貴重な声に耳を傾ける。