米中枢同時テロ(2000年代)
脅威警戒度 最高のD
正門で通行人に目を光らせる米憲兵と県警の機動隊員。基地内に通じるゲートは鉄条網で封鎖された。脅威警戒度は最高ランクの「D」。世界が恐怖したその日、米海軍佐世保基地でも厳戒態勢が敷かれた。
2001年9月11日に起きた米中枢同時テロは、米軍や自衛隊の基地を抱える佐世保がテロの脅威、そして、テロとの戦いと無縁ではいられない現実を突き付けた。普段市民に開放しているニミッツパークの立ち入りは禁止され、日米交流行事も中止に。影響は市民生活にも及んだ。
小泉純一郎首相(当時)は、米国のテロとの戦いの支持を表明。自衛隊の後方支援を可能にするテロ対策特別措置法(失効)に基づき、海上自衛隊佐世保基地から初めて護衛艦などがインド洋に派遣され、佐世保を起点に日本の安全保障は転換点を迎えた。
米軍の動向を監視する市民団体リムピース佐世保の篠崎正人編集委員(68)は「戦後70年の中で、ここ十数年の佐世保の軍事的な動きはあまりに急で、粗雑な印象を受ける。佐世保はいや応なく、日米安保の新たな荒波にのみ込まれてしまったし、変化はこれからも続く」と憂慮する。