米軍基地返還運動(1970年代)
市民が団結し実現
佐世保市の島瀬公園が3千人を超える群集で埋め尽くされた。1973年6月23日、米軍が所有していた崎辺地区の即時返還を求める市民大会が開かれた。この日から市民ぐるみの基地返還運動は始まった。
船舶の大型化が進んだ当時、各社は100万トン級が建造できる超大型工場の建設を打ち出した。佐世保重工(SSK)も立ち遅れてはならないと、建設候補地だった崎辺地区で実現できなければ、佐世保を離れるとの考えを示した。
基幹産業を失う危機に直面した、辻一三市長(当時)はすぐに早期の基地返還要求を打ち出した。大会には、市議会や商工会議所、婦人会など幅広い層の市民が集った。元社員の橋口孝三郎さん(85)は「町全体が一丸となって動いている雰囲気を痛いほど感じた」と熱気を覚えている。
市内行進や10万人を超えるとされる署名も集められ、基地返還としては「異例」のわずか3カ月という早さで返還が決まった。
オイルショックのあおりを受け、結局、工場建設は凍結した。だが、「多くの人の基幹産業を守ろうという強い姿勢は社員冥利(みょうり)に尽きた」。橋口さんの感謝と喜びは40年が過ぎた今も色あせない。