原潜入港(1960年代)
「足の裏」核に直面
1964年11月12日朝。「昭和の黒船」が佐世保港に姿を現した。米原子力潜水艦シードラゴン。市内では寄港反対を訴えるデモ隊と機動隊が衝突し、負傷者や逮捕者が続出。佐世保の街は騒然となった。
米政府から日本に対し、寄港の申し入れがあったのは63年1月。寄港先は神奈川県横須賀市か佐世保市に絞られていったが、その過程では、首都に近い横須賀は日本の「顔」だが、佐世保は「足の裏」だ-との議論も飛び出した。この「足の裏」論はその後、佐世保が日米安保や国防政策への協力を迫られるたび、市民の間で自虐的に口にされることになる。
軍事ジャーナリストの前田哲男さん(77)は当時、NBC長崎放送の記者として取材に当たった。
「長崎で原爆を取材した後、佐世保に赴任し位相の違う核問題に直面した思いだった。現在進行形の『核』が目の前にある、と。東京五輪(64年10月)など視野に入ってこなかった。あれから半世紀が過ぎ、市民は原潜に慣らされ、おかしいものをおかしいと思えなくなってしまった」
原潜の佐世保入港は、通算364回(16日現在)に上る。