朝鮮特需(1950年代)
紙幣 木箱にあふれ
1950年6月、朝鮮戦争が勃発し、佐世保は米軍を主力とする連合軍の後方支援基地となった。佐世保市の三ケ町商店街そばの通りに並んだ「外国人バー」のネオンは、朝鮮特需に沸き、輝きを増した。
「昼間から夜遅くまで、通りは米兵らでごった返し、活気に満ちたいい時代だった」。ジャズバンドのトランペット奏者として連日、米軍施設やキャバレーで音を鳴らしたという山口治郎さん(80)は当時を懐かしむ。
最盛期には150軒あったとされる外国人バー。店内は、タンゴやサンバなど、にぎやかな音楽に合わせて踊る米兵や日本人ホステスであふれた。米兵は制服の小さなポケットや靴下に入れていた札束をテーブルの上に置き、酒を浴びるように飲んだ。店員は伝票を付ける間もなく、受け取った紙幣はカウンター下の木箱に次々と投げ入れられ、すぐにあふれ出た。
しかし、朝鮮戦争の休戦などによる基地縮小で客足は次第に減った。全国から集まったジャズ奏者やホステスはこの地を後にし、外国人バーのネオンも一つ、また一つと消えていった。