米軍進駐(1940年代)
廃虚から復興の始まり
無人の街を行く米軍の隊列。岸壁を埋める輸送艦。人々は、物陰から息を潜めてその光景を見詰めていたのだろうか。写真は1945(昭和20)年9月、終戦直後の佐世保で写されたものだ。
旧海軍鎮守府が置かれ、軍港として発展した佐世保の市街地は、45年6月の大空襲で壊滅的な被害を受け廃虚と化した。28万人の人口は終戦後14万人に半減。敗戦は人々から誇りや自信を奪い、佐世保はよって立つものを失った。
45年9月21日。占領軍が佐世保への進駐を開始。写真集「占領軍が写した終戦直後の佐世保」(芸文堂)や佐世保市史によると、佐世保には22、23の2日間にわたって米軍の第5海兵師団を主力とする約3万人が上陸したとされる。
占領軍は日本軍の飛行機を火炎放射で焼き払い、艦船を解体するなど武装解除させると同時に、重機を使って焼け跡の整地なども進めた。写真集の後書きで、元市立図書館長の故・中本昭夫氏は「佐世保市復興のスタートは、米軍の進駐によってはじまったと言っても過ぎることはない」と書いている。
基地の街・佐世保は戦後70年の歳月をどのように歩んできたのか。各年代のトピックを取り上げながら写真で振り返る。