長崎市四杖町の80代女性 多様な生き方 非戦で一致 「人、ものの大切さ伝えたい」
被爆70年に向けて長崎新聞社が実施した被爆者アンケート。本紙1月1日付、同9日付、同20日付(被爆2~4世アンケートは2月8日付)で特集し、今回の連載企画も含め、多面的な被爆者像を明らかにした。
「核兵器廃絶は可能だと思いますか」との設問では、「はい」「いいえ」「分からない」が拮抗(きっこう)。廃絶が可能だと思わない人も、廃絶の動きの停滞に嫌気を感じていたり皮肉の裏返しだったりするケースが多かった。集団的自衛権の行使は過半数が異を唱えた。「今、次世代にどんなことを伝えたいと思っていますか」では「二度と戦争をしてはいけない」という趣旨を多くが記した。
原爆は無差別に市民の頭上に投下された。生き残った被爆者は、さまざまな思想信条を持ち、被爆を隠したりしながら歩んできた。その人生も考え方も一様ではないが、非戦という点では一致していた。
今夏取材した回答者のうち、ある匿名の女性を紹介し被爆者アンケートの紙面展開を締めくくる。その素朴な言葉には被爆者の迷いや次代への強い思いが込められている。
■80代女性
長崎市四杖町(入市被爆)
香焼の造船所で働いていた。「お昼ごはんにしようか」と友達と話していたら爆風で窓ガラスが割れた。「電気爆弾が落ちた」と誰かが言った。感電事故に遭ったばかりだったから怖くなった。原子爆弾なんて言葉は知らなかった。3日後、式見の実家を目指し、大しけの海を小船で大波止まで渡った。そこから歩いて滑石へ。電車も人も黒焦げになっていた。
10年後。読書好きだったが、ある朝、目が見えなくなった。手術したがよく見えない。それからは入院も多かった。原爆のせいと医者に言われ、つらかった。
戦争と原爆、原発だけはなくしてほしい。放射能は残るから危険。良い方向に使おうとしても福島の原発みたいになってしまう。核兵器も廃絶してほしい。でも核兵器を持っている米ロなどが、北朝鮮に核兵器を手放せと言ってもなくならないと思う。
集団的自衛権の行使ができるようになったら、また日本は戦争をするんじゃないかということが一番不安。戦争さえしなければと願う。20代半ばの兄を亡くしたから強く思う。兄は終戦間近に出兵し、輸送中に船を沈没させられたみたい。どこで亡くなったかも分からない。骨つぼには何も入っていなかった。
最近は、ニュースなどを見ても人を殺しても何も思わない若者が多い。人、親、ものの大切さを伝えたい。それが平和につながっていくと思う。