長崎の記録文学 長崎の証言の会 山口響さん “伴走者”の「体験」記す
ドアを開けると、千羽鶴の鮮やかな色と本の匂いに包まれる。被爆者の体験を記録している「長崎の証言の会」(長崎市目覚町、代表委員・内田伯さんら2人)。1969年に創刊した「長崎の証言」以来、季刊や広島との共同編集を経て、87年から「証言-ヒロシマ・ナガサキの声」を年1回発行する。被爆者や市民手作りの証言集は70冊を超す。
「被爆者の証言と、年々の反核、平和をめぐる長崎の記録が一冊になっているところが面白い。証言集として特異な存在」。こう語るのは、2014年から編集長を務める山口響さん(39)。高齢の運営委員たちが積み重ねてきた活動に接し、「このような発信がなくなるのは損失」と引き受けた。
西彼長与町出身。高校まで長崎で過ごし、京都大で政治学を専攻。明治学院大と一橋大の両大学院で学び、NPO法人「ピースデポ」(横浜市)で現代の核問題や国際情勢を研究してきた。12年に帰郷した後、核問題から原爆にさかのぼって考える意味を見いだし始めた。
40年以上続く証言活動の意義をこう語る。「被爆当時の年齢や社会的立場などが違えば異なった体験となるし、同じ人でも被爆後の遍歴によって証言が変わってくることもある。そうした多様な体験を記録し続ける意味がある」
14年春から長崎・活水高で「平和学」の授業を受け持つ。9年間務めた被爆者の山川剛さんの後を継いだ。原爆や核問題をはじめ、長崎で被爆した作家林京子、詩人福田須磨子(1922~74年)の作品を取り上げる。
「(林の自伝的小説)『祭りの場』以外の小説に描かれた戦後の生き方、母親になるときの苦悩、夫や息子との関係、友人関係にまで話を広げると、高校生も引き寄せて考えてくれるのではないか」
詩「ひとりごと」で知られる福田は、原爆で家族と生活基盤を失い、病気で体の自由を奪われた。生きる苦しみをつづった生活記録「われなお生きてあり」は69年、第9回田村俊子賞を受賞。「長崎の原爆後の生活をこれほど赤裸々に描いた人はいないだろう」。今を生きる人たちが被爆者の体験を理解する鍵を握る作品とみている。
被爆俳人、松尾あつゆき(1904~83年)の日記に触れ、「妻子を失った喪失感だけでなく、被爆後まもなく他の女性が気になったりする心の動きが逆に人間味を感じる」。暮らしを回復させようともがいた俳人を通し、「被爆者は特別な存在ではなく、普通の生活者」と捉え直している。
この秋に刊行する「証言」では被爆者の証言が少なくなる中、「原爆体験」を広く捉えようと試みた。被爆者をそばで見てきた家族たちにインタビューした。「被爆者とともに走ってきた”伴走者”の目から見た原爆被災、被爆とはどのようなものか、被爆した当事者だけでなく周りの人間、社会関係がどんな影響を受けているかを記録することも私たちの役割の一つ」。被爆者と同時並行で”伴走者”の人生を記録する-。そんな手応えを感じている。