長崎のアート 「ながさき8・9平和展」事務局長 松尾英夫さん 市民の心をひとつに
核兵器廃絶と平和を願う市民らが制作した美術作品を一堂に集めた「第36回ながさき8・9平和展」が被爆70年の夏も開かれた。長い歴史を誇る平和展の意義、今後の課題、展望について、松尾英夫事務局長(75)に聞いた。
平和展の源流をたどると、戦後、被爆の後遺症に苦しみ、46歳で病死した長崎市の洋画家、池野清氏(1914~60年)の存在が大きい。代表作の「樹骨」「木立」は分かりやすい反戦の絵ではないが、悲劇性がにじむ。佐多稲子の小説「樹影」(70年)で描かれた主人公のモデルになり、注目された。
53年、池野を敬愛する勤労者美術愛好グループ「4B会」が発足。中央で展開されていた平和展の刺激を受け、同会急進派の堀知之氏、西彼杵郡の教職員美術研究サークル「創軌会」が連携し、64年8月から10年間、「長崎平和美術展」を開いた。
その後、被爆地長崎らしい平和展を開こうと、被爆者で市内で画材店を経営する畑敏光氏が呼び掛け、80年から「8・9展」がスタート。同じ被爆者で池野氏の実弟の巌氏(故人)らと相談し、長崎原爆の日にちなんだ展覧会名にした。7回目から現在の「ながさき8・9平和展」と改称、組織も再編した。当時から事務局長を務める松尾さんは「長崎では平和の名がつく展覧会は数多いが、われわれが一番長く続いている」と胸を張る。
今年の「8・9平和展」は国内外から194点が出品。例年並みの出品数だったが、被爆70年の節目からか100号を超える大作が多かった。一方、国内の政局に絡め「憲法九条を守れ」「戦争立法反対」などの文字が躍る作品が目立った。
松尾さんも平和が脅かされていく危機感を抱く。「核保有国には核兵器を減らそうとするのではなく、何かあったら使おうという思惑が見える。中近東では戦火が絶えない。日本の政権の法案には戦争をしやすくする狙いが分かる。そういう世の中がつらいし、恐い」。松尾さんが今年出品した油彩画は長崎港にハトが舞う姿を描いた。長崎市民が争いのない平和な世界を切望していることを伝えたかった。
会場には原爆の実相を知る被爆者の作品が5点ほどあった。高齢化に伴い、絵筆を置く日がいつか訪れるだろう。一方で、高校生、大学生、20、30代の若者がほとんどいないことが気掛かりだ。
「作者は平和について考えながら作品を制作し、見る人も会場にいる間、平和について考える。平和の尊さを確認し合い、被爆地から発信する。平和展には重要な意義がある。若い世代を巻き込みながら今後も続ける必要がある」