長崎の演劇 劇団「TABIHAKU」代表 つだけいこさん 「チンチン電車の詩」など
「私を最後の被爆者にしたい」-。そう語るのは、長崎市の劇団「劇団TABIHAKU」代表を務めるつだけいこさん(69)=長崎市白木町=。40年近く、反戦平和をテーマにした物語を長崎で紡ぎ続けている。
つださんの母親は1945年8月9日、宝町の軍事工場で被爆。妊娠3カ月だった。次の年の2月、つださんは未熟児で誕生。幼いころは体が弱く、外遊びができず、本を読むのが好きだった。
25歳のころ、勤めていたナガサキフォトサービス(現・DEITz)映画部で、原爆投下1カ月後の長崎の映像を見た。更地になった爆心地周辺。鉄骨だけが残った工場跡地。まばらな人影-。
この画像にナレーションを付けるため、投下前の写真や資料を調べ、被爆者に話を聞き、驚いた。原爆が大勢の市民の命を奪い、生き残った人々が今も苦しんでいると、初めて実感した。「母はあの日について語らなかったが、つらかったから話せなかったのだとわかった」
30代半ばから長崎平和音楽祭のスタッフを務める。同音楽祭を開く長崎平和推進協会会員となり、被爆者と話す機会が増えた。「原爆の悲惨さを少しでも紹介したい。芝居を通してなら、声高に言わなくても平和の大切さが観衆の心に届く」。そう考え、長崎の原爆、戦争を取材して脚本にした。87年から手掛けたのは12作品になる。
このうち、これからも上演してほしいのは、2010年に発表した朗読劇「チンチン電車の詩(うた)」。女性と子ども、高齢者ばかりが住む終戦間際の長崎が舞台。主人公は、宮崎県から移住し長崎電気軌道の車掌見習いだった野口タツ子さん=当時(13)=、ハル子さん=同(12)=姉妹。大橋営業所で被爆し、小さな骨になった妹と、故郷に戻り泣き崩れた姉の姿を通して、原爆の残酷さを訴えた。
同社勤務中に被爆した和田耕一さん(88)の原案を基に、つださんが脚本を書いた。「小学校を卒業したばかりの子どもが、親元を離れて長崎に出稼ぎに来て、その上、被爆したことがショックだった」。電車の写真をスクリーンに投影して、長崎市内で初演。これまでに3回発表した。
被爆70年の今年は、長崎の反核運動をリードした故山口仙二さんの生涯を、音楽劇「被爆者山口仙二 魂の奇跡 ノーモア・ヒバクシャ」に仕上げた。8日の平和集会「虹のひろば」(県生活協同組合連合会など主催)で披露した。
戦争や被爆を語る人が年々減っていることを案じる。「体験を聞いて劇に残し、思いを後世に伝えられたら。今後もずっと継続したい」。胎内被爆者のつださんはこれからも創作劇を通して訴え続ける。「ノーモア・ヒバクシャ、ノーモア・ウォー」と。