戦後70年・被爆70年 表現者たちは 継ぐ 1

「歌には平和の大切さを訴える力があります」と話す宮川さん=長崎新聞社

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戦後70年・被爆70年 表現者たちは 継ぐ 1 長崎の歌 歌謡史研究家・宮川密義さん 藤山一郎「新しき」など

2015/07/29 掲載

戦後70年・被爆70年 表現者たちは 継ぐ 1

「歌には平和の大切さを訴える力があります」と話す宮川さん=長崎新聞社

長崎の歌 歌謡史研究家・宮川密義さん 藤山一郎「新しき」など

忘れられない歌や文学がある。何度も見たい映画や舞台、心引かれる美術作品もある。被爆70年の夏、これからも伝えたいと願う長崎をテーマにした表現作品を紹介する。初回は「長崎原爆、平和の歌」について、長崎歌謡史研究家の宮川密義さん(81)=西彼時津町=に聞いた。

宮川さんは1934年、島原半島の南有馬町生まれ。45年8月9日、古里の山の稜線(りょうせん)にきのこ雲を見た記憶はあるが、被爆体験はない。

52年、長崎民友新聞社(現・長崎新聞社)に入社。学芸部記者時代、「思案橋ブルース」(68年)「長崎は今日も雨だった」(69年)などが流行。「長崎の歌ブームが来る」。そう予感し、ご当地ソングをとことん調べ始めた。「長崎県の歌謡史」と題した記事を72年から100回連載。のちに「長崎の歌博士」と呼ばれる原点となった。

「長崎の歌は特別。名所、名産が多く、キリスト教、原爆、平和など、歌の歴史的な背景が多彩」。これまで出会ったさまざまな歌を通じて、確信めいた思いを抱いている。「歌には平和を訴える力、傷ついた心を癒やす力がある」

「被爆地の復興応援歌であり、長崎の平和の歌第1号だろう」-。宮川さんがそういうのは「長崎盆踊り」(47年)。原爆で肉親を亡くした復員青年が、焼け跡を前に途方に暮れる市民を元気づけようと、盆踊りを発案。市民3万人が市民グラウンド(現・長崎市公会堂敷地)に集い、この曲に合わせて踊った。現在も、市内各地の夏祭りなどで原爆犠牲者に思いをはせて、踊り継がれている。

約140曲に上る長崎原爆や平和の歌の中で、「歌の力」を実感する曲が藤山一郎が歌った「新しき」。大ヒットした歌謡曲「長崎の鐘」(49年)をきっかけに、藤山は病床の永井隆から一首の短歌を贈られたという。

新しき朝の光のさしそむる荒野に響け長崎の鐘

藤山はこの歌に自らメロディーを付け、コンサートで歌った。「『長崎の鐘』に続けて高らかに熱唱し、聴衆に平和への希望を印象づけた」。こう語る宮川さんは「なかなか受け継がれていないが、もう一度、聞いてほしい曲」と力説する。

今秋43周年を迎える「長崎なつメロ愛好会」、県すこやか長寿大学校の卒業生でつくる「歌で巡る長崎の会」-。宮川さんは長崎の人たちとさまざまな歌を歌い継いでいる。

被爆70年の今、「聴きたい歌」とは-。「平和は長崎から」(49年)「原爆を許すまじ」(54年)「クスノキ」(2014年)など8曲を挙げた宮川さん。

「被爆、戦争などの苦しみを抱えた人たちと一緒に、歌を通して喜怒哀楽を共有できるはず」。そう信じて、これからも長崎の歌を見つめ続ける。