木彫りの仏像 無心で己と向き合う
目を閉じて、ほほ笑みをたたえる「お地蔵さま」と「観音さま」。高さ約20センチの小さな仏像は、流れるような木目の曲線が美しい。瀬戸内寂聴さん自ら作った木彫りの仏像は、手びねりの土仏約80点とともに本展で人気を集める。
寂聴さんは1973年、51歳で出家。大病を経た数年後、木彫りの仏像に心引かれ、彫刻刀を握った。指物職人だった父の血を引き、繊細な顔の表情や手の形も器用に彫った。「削(そ)いで削いで仏様にお出ましを願う。文章を書くのと同じ」。無心で自身と向き合う姿は、独自の文学世界に通じる。
敗戦を中国で迎え、命からがら帰郷したゆえか、戦争の愚かさを一貫して説く。湾岸戦争(91年)、イラク戦争(2003年)の時は停戦を祈り、断食を敢行。雲仙・普賢岳噴火(1991年)や阪神大震災(95年)直後に現地入りし、被災者に寄り添った。「生きることは愛すること。世の中を良くするとか、戦争をしないとか。その根底にある愛を書くのが小説」。戦争を憎み、弱者を励ます行動は、大衆の共感を集め続ける。
2006年に文化勲章を受章。90歳を過ぎても執筆意欲は衰えない。しかし、昨年春から約1年間、病気で療養、戦後70年の夏、被爆地長崎から再び動き始めた。「『戦争しちゃいけない』と死ぬまで叫び続ける」。7月25日の開場式でそう語る寂聴さんを涙を浮かべて見つめる女性がいた。
諫早市の高橋桂子さん(74)。寂聴さんと親しかった作家、井上光晴(1926~92年)が77年、佐世保市に開いた文学伝習所の1期生。次の年、諫早市であった二人の講演会の後、自宅で杯を交わした。以来三十数年、手紙などを通し、交流を続けてきたという。
「会いたかった。ちっとも変わらないわね」。懐かしい顔に笑顔を輝かせた寂聴さん。出会いこそ生きる証し-。いつまでも手を握り合う二人がそう語り掛けていた。