有髪最後の晴れ着 文学のため出家 決意
「文学に志して以来ひたすらにこの道に励み、早くも十数年の星霜を重ねてまいりました。その間いつとはなくわが作品にうながされ、ひそかに出離の想いを抱きつづけるようになっていました」。1973年11月、瀬戸内寂聴さんは仏門に入る心境をこう記していた。
40歳で人気作家の仲間入りし、奔放な恋を重ねる生き方も注目を浴び続けた。一方、執筆に追われる毎日に疲れ果て、納得できる小説が書けなくなっていた。その心は平穏を求め、髪を落とす決意をした。「晴美」から「寂聴」へ-。51歳の秋だった。
岩手県平泉町の中尊寺で行われた得度式。うぐいす色の留め袖と佐賀錦の帯を一人で着付け、黒髪も自分でまとめた。「持っていた着物の中で一番好きだった」。そう語る色留め袖と帯(いずれも徳島県立文学書道館蔵)は、俗世に別れを告げ、僧侶の道を歩み出した人生の節目を物語る。
自慢だった黒髪もそり、臨んだ記者会見。動機を繰り返し質問されたが、言葉にならなかったという。それから42年、寂聴さんは当時をこう振り返る。「文学で生きるため、バックボーンになるような宗教や哲学がほしかった。最後の最後に残っている煩悩が『ものを書く』ということだった」
出家から1年後の冬、突然、激しい頭痛に襲われた。くも膜下出血だった。病を隠して書きながら「死の意味」を考え続けた。「仏教者としての自覚をもっと持たせるためなのだろう」。恋愛をテーマにした出家前の作品から、信仰や古典、人生など多彩な切り口で人々を引きつけた。
「忘己利他(もうこりた)」。自分の利益を忘れ、他者の幸せのために奉仕する-。修行を通して解放された精神は、寂聴文学を新たな段階に進展させた。「人は人を愛するために生まれてきた」。優しいまなざしが作品に貫かれている。