出会いこそ生きる証 瀬戸内寂聴展 1

人気作家の地位を確立した「夏の終り」の直筆原稿=長崎市、県美術館

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出会いこそ生きる証 瀬戸内寂聴展 1 「夏の終り」直筆原稿 地位確立した「原点」

2015/07/29 掲載

出会いこそ生きる証 瀬戸内寂聴展 1

人気作家の地位を確立した「夏の終り」の直筆原稿=長崎市、県美術館

「夏の終り」直筆原稿 地位確立した「原点」

作家で僧侶の瀬戸内寂聴さんの半生と文学を紹介する企画展「戦後70年、被爆70年-瀬戸内寂聴展~これからを生きるあなたへ~」が長崎市出島町の県美術館で開かれている。直筆原稿をはじめ、著書の装丁を飾った気鋭の芸術家による日本画や寂聴さんゆかりの文化人らを描いた肖像画の原画など心を揺さぶる展示品を紹介する。

黒色の小さくて丸い文字が、流れるようにつづられている。瀬戸内寂聴さんの2作目の小説「夏の終り」(1962年)の原稿(徳島県立文学書道館所蔵)。自らの恋愛経験を基に、年上の男性と年下の男性との間で苦悩する女性の心理を繊細かつ大胆に描いた。
「世に出た作品でもあり、一番好きな作品」。本人がこう語る私小説は63年、女流文学賞を受賞し、人気作家の地位を確立した「原点」でもある。いちずに創作に打ち込んだ情熱が、原稿用紙ににじむ。
寂聴さんは東京女子大在学中、研究者と見合い結婚し、中国・北京で終戦を迎えた。帰郷後、文学に目覚めるとともに夫の教え子と恋に落ち、夫と長女のもとを去った。
35歳で発表した短編小説「花芯」は「子宮で小説を書く」と酷評され、その後5年間、文芸誌の執筆依頼は途絶えた。作家の田村俊子の伝記で61年、第1回田村俊子賞を受賞。「夏の終り」で脚光を浴びたのは40歳の時だった。
「オーバーなんかぬいで行け」-。夫との破局の日を思わせる同作の一場面は、男女の深層心理をえぐっている。「2月半ばで寒い日だった。夫は意地悪でしたのではなくて、(私が)出て行けずに帰ってくると思ったのではないでしょうか」(寂聴さん)。揺れ動く心情をリアルに描く文章は、今なお女性たちの共感を集め続ける。
51歳で突然の出家。「瀬戸内晴美」から「寂聴」に改め、ペン一本で生きようと決意。厳しい修行を経て、送り出された人生を問う作品で、さらに評価を高めた。本展では小説「美は乱調にあり」(66年)の直筆原稿、昨年刊行した小説「死に支度」などの主な作品を通し、半世紀余りの寂聴文学の軌跡をたどる。
「もしも書けるなら、一つだけ長編を書きたい」。寂聴さんは本展が開幕した25日、今後の目標をこう明かした。テーマは「家族」。93歳、失った家族を追い求めるように、時計の針を戻すのだろうか。

「戦後70年、被爆70年-瀬戸内寂聴展~これからを生きるあなたへ~」 8月31日まで県美術館企画展示室(長崎市出島町)。当日鑑賞券は一般1200円(前売り千円)高校・大学生900円(700円)小中学生700円(500円)小学生未満は無料。