平和教育 発信志向 背景に焦り
日差しの強い7月、長崎市松山町の原爆落下中心地碑に、市立江平中の3年生5人が若い外国人女性を連れてやって来た。
「碑の上空で原爆がさく裂しました」。女子生徒が英文のメモを読み上げると、女性は英語で「あの建物は?」と近くの旧浦上天主堂遺壁を指した。「えっ何て言えばいいかな…教会は英語でなんだっけ?」。何とか説明。女性が「I See(なるほど)」とうなずくと、生徒は喜んで「おー」と歓声を上げた。
同校では昨年度から、3年生が外国語指導助手(ALT)に英語で被爆遺構を案内する平和学習を始めた。小浦末浩教頭(51)は「知識だけで終わらせず、伝えるというところまで学ばせたい」。発信に重きを置いた平和教育を模索中という。「被爆者が語れなくなる日が迫っている。今後は生徒自身が語り役にならなくては」。「発信」志向の背景には、被爆者に依存した平和教育が不可能になる未来への焦りがある。
市内の全公立小中学校では20年前、年1回の被爆体験講話が開始。大半の学校に語り部を派遣する長崎平和推進協会継承部会の会員平均年齢は4月で79・6歳。市教委は、被爆者の声を聞けるうちは講話を平和教育の基礎とする方針だが「『発信』強化を意識していく必要はある」とする。
爆心地から1・2キロの市立淵中は、被爆した同校を題材にした紙芝居を生徒が児童に読み聞かせる取り組みを本年度初めて実施。稲富美和子教諭(42)は「被爆や平和を発信しなくてはという生徒の意識は高い」とし、その理由に校内の遺構や資料展示スペースなど身近な“教材”の存在を挙げる。「遠方の学校は遺構や施設に来るだけでも大変。爆心地から遠いと、生徒の意識が薄まる傾向はあると思う」とする。
1990年代の設立で爆心地から約8キロの距離にある市立小ケ倉中の豊坂恭子教諭(43)は、前任の市立滑石中では周辺の被爆遺構を活用してきた。しかし、遺構がない小ケ倉中で同様の方法は困難。そのため街頭アンケートや平和活動に参加する学生らへの取材など「人と関わる学習」で生徒の自主性と関心を促し、その学習成果は冊子にまとめた。
「成果が形として残ると生徒のやりがいにつながる。爆心地から離れた学校は難しさもあるが、大事なのは各校が問題意識を持ち、模索した内容を共有すること」と話す。