植樹 木を育て思いを広げる
2009年、横浜のケーブルテレビ局から埼玉県志木市に転勤した鳥居吉治さん(54)の元を、小学生の健全育成事業に取り組む女性が訪ねてきた。
藤井(旧姓福田)祐子さん(55)との何げない会話は、やがて出身地の話になった。「私の古里は長崎県大村市なんですよ」。その言葉に、鳥居さんは因縁めいたものを感じた。鳥居さんが関係者を捜していた長崎源之助さんの絵本「汽笛」の舞台、大村海軍病院(現・国立病院機構長崎医療センター)の近くで、藤井さんは生まれ育ったという。
10年、横浜市の県立神奈川近代文学館で長崎さんの創作活動を紹介する展覧会が開催。藤井さんは長崎医療センターのギャラリーでの展覧会開催を提案した。11年初めのことだった。
だが「汽笛」を出版した08年末に脳梗塞で倒れ、ほぼ寝たきりだった長崎さんは11年4月に亡くなった。
遺作「汽笛」の舞台、大村海軍病院の場所で追悼展を開き、長崎さんの思いを伝えたい-。鳥居さんらは実行委を組織し同年9月に開催。長崎さんの妻和枝さん(88)=横浜市南区=も会場を訪れ「お父さんが生きていたらどんなに喜んだことでしょう」と述べた。
これを機に、長崎さんの作品「ひろしまのエノキ」にまつわる被爆エノキ3世を同センターに植樹する話も持ち上がる。藤井さんの弟、福田哲也さん(52)=大村市久原2丁目=が勤めるながさき県民の森の協力を得ることに。12年11月、鳥居さんらは被爆エノキ2世がある長崎市立山里中で枝と種を採取し、福田さんが県民の森で育て始めた。
偶然と必然が絡み合い、長崎さんの思いを受け止める人々の輪は広がり、バトンリレーのように展開していく。
■
長崎さんの母校、横浜市立井土ケ谷小にも12年1月に贈られた被爆エノキ3世が植えられている。児童会の栽培委員会が世話し、総合学習などで原爆や戦争について学んでいる。伊藤雅代校長(59)は「横浜は広島、長崎から距離的に遠く(平和教育の)取り組みの度合いも違う。物があって『これがそうなんだ』と話すことで、子どもたちへの伝わり方が違う」と語る。
昨年10月エノキの木の傍らに建立した石碑には長崎さんが09年に同校で講演した際、児童に贈ったメッセージが刻まれている。
「エノキを立派に育ててください。そして平和の心と命の大切さを養ってほしいと思います」