新興善国民学校 1945年10、11月 米海兵隊撮影(いずれも米国立公文書館所蔵)
新興善国民学校(後の新興善小、1996年度末で閉校)は長崎市内でも歴史がある小学校の一つだった。県庁から市役所へとつながる中心市街地近くの高台にあった。この一帯は原爆による爆風、熱線による直接の被害は避けられたが、原爆により発生した二次火災によって広い範囲にわたり類焼。主な官公庁や企業が焼失した。
同校は類焼から免れ、鉄筋コンクリートで堅固だったため原爆直後から救護所として活用された。教室は診察室や入院患者の病室、被爆者の生活の場として使用された。
運動場に机、椅子が積み上げられた珍しい1枚は、本格的に救護所として使用することに伴って校舎での授業が一時閉鎖となり、机や椅子を運び出すため校舎内から運動場に移されたものと推察される。同校児童は長崎公園(上西山町)での青空授業、後には晧台寺(寺町)を教室にして授業が始まった。元の校舎で本格的に授業が再開されたのは51年12月。
被爆70年ナガサキ原爆写真展(長崎平和推進協会、同協会写真資料調査部会、長崎市立図書館主催) 22日~8月3日(午前10時~午後5時、28日は休み)、長崎市興善町の市立図書館多目的ホール。入場無料。