鎮魂の海に平和祈る 永遠の課題かみしめて
「背を丸め深く倒せし操縦桿千万無量の思い今絶つ」。宮古島にある第3次龍虎隊(赤とんぼ特攻隊)の慰霊碑に刻まれた碑文は、建立者、故笹井敬三の自作の歌だ。
敬三自身、第4次龍虎隊員として1945年8月15日の出撃が決まっていた。2日前に出撃を告げられた笹井らは、テーブルを囲んで1枚の写真を見せられた。偵察機「彩雲」が撮影した沖縄周辺の極秘写真だった。写真には、沖縄全島を取り巻く千隻余りの敵艦艇の不気味な影が写し出されていた。「島全体を包囲して、四面楚歌の状態であり、特に慶良間周辺の船影は密で、立錐の余地も許さないほど完璧なものだった。仮に百機百中したとしても焼け石に一滴の儚なさを思わしめる巨大さを見せつけていた」(手記より)。
沖縄本島は既に米軍の手中にあり、多数の住民らも犠牲になっていた。練習機「赤とんぼ」での特攻が、何よりも勝ち目のない戦局を物語っていた。
碑文の「千万無量の思い今絶つ」には、そんな中に無防備で突入していった若者たちの無念への、鎮魂の思いがにじんでいる。出撃当日、終戦になり、「死の側」から再び「生の側」へ戻った。20歳で終戦を迎え、70歳のときに私費を投じてこの碑を建てて供養した。敬三は79歳で戦友らのもとに旅立った。
昨年、初めて父親の手記を読んだ敬三の長女、笹井良子(59)は、「生前詳しく語らなかった父の戦争体験が、手記を読んではっきりと実感できたような気がした。今後もできる限り沖縄に行き、父の戦友の慰霊をしたい」と話した。
作家の古川薫(90)は、「赤とんぼの特攻隊が、自らを犠牲にして米駆逐艦を撃沈するという戦果を挙げた。一方で米軍の47人の乗組員が死んだことも考えなければいけない。戦争のない世界をつくらなければならない。それは人類の永遠の課題」と語った。
「赤とんぼ」の愛称で呼ばれた、軽くはかなげな飛行機に乗って、沖縄の海に命を散らした若者たち-。月明かりを頼りに海上を飛んだ彼らは、あの日星を見たのだろうか。彼らと同じ空を飛んで慰霊の旅をした人々の胸に去来したものを、重くかみしめた。
=文中敬称略=