「少女の記憶」胸に合掌 焼却された 憧れの文明
作家のレイコ・クルック(80)=仏パリ在住=は10歳のとき、生まれ故郷の諫早市小野島町で終戦を迎えた。戦時中、近所に国立の民間パイロット養成施設「長崎地方航空機乗員養成所」があった。全国から集まった10代の若者らが、複葉の九三式中間練習機(通称・赤とんぼ)で訓練に励んでいた。
のどかな農村でのびのびと育った好奇心旺盛な少女にとって、空を飛ぶ「赤とんぼ」の音は「唯一の文明の音」。養成所の飛行機やパイロットに無邪気に憧れた。しかし戦争末期、「赤とんぼ」は迷彩に塗られ、特攻に使われる。
偶然に見てしまった特攻兵の慟哭(どうこく)や、終戦の混乱の中で目撃した憧れの「赤とんぼ」が焼却される光景は衝撃的だった。70年を経ても、忘れられないつらい記憶として胸に刻まれている。
「一農村の少女が体験した戦争の記憶を、少女の視点のままで書き残しておかなければ」そんな思いで、初めての小説「赤とんぼ 1945年、桂子の日記」(2013年、長崎文献社)を出版した。
ことし5月下旬、沖縄を訪ねた。「赤とんぼ」ゆかりの地を巡り慰霊した。
5月27日、豊見城市の海軍壕公園で開かれた小禄地蔵尊慰霊祭(元沖縄海軍航空隊ら有志主催)など、二つの慰霊祭に参列した。沖縄戦で犠牲となった兵士や住民の冥福を祈った。
翌28日、作家の古川薫らと、海上自衛隊那覇航空基地のP3C哨戒機で、慶良間諸島を訪ねた。70年前、養成所のパイロットのお兄さんに乗せてもらった「赤とんぼ」が散華した海に、機上で手を合わせた。
29日には、宮古島で開かれた第3次龍虎隊(赤とんぼ特攻隊)の慰霊祭(元龍虎隊員ら有志主催)に参列した。しめやかに僧侶の読経が流れる中、酒や果物が供えられた祭壇に線香を手向けた。参列者は報道関係者も含め10人余り。零式艦上戦闘機(ゼロ戦)の影で、赤とんぼ特攻隊の存在は忘れられようとしている。
「若い特攻兵たちが、どんな思いで飛んだのか。海が美しいばかりに悲しみもひとしおでした。赤とんぼの御霊(みたま)に合掌できて安堵(あんど)しました」