戦後70年 ながさき 赤とんぼの海へ 波に散った若者たち 1

操縦室の窓から沖縄の海を見つめる古川薫さん

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戦後70年 ながさき 赤とんぼの海へ 波に散った若者たち 1 布張りの特攻機 米艦撃沈 唯一の戦果

2015/06/16 掲載

戦後70年 ながさき 赤とんぼの海へ 波に散った若者たち 1

操縦室の窓から沖縄の海を見つめる古川薫さん

布張りの特攻機 米艦撃沈 唯一の戦果

太平洋戦争中、練習機として使用された複葉の飛行機があった。プロペラなど一部が木製で、上下の羽は布張り。機体がオレンジ色に塗られていたことから「赤とんぼ」の愛称で呼ばれた。戦争末期には実用機が不足し、「赤とんぼ」の特攻隊「神風特別攻撃隊龍虎隊」が組織された。隊員は20歳前後。戦後70年のことし、元龍虎隊員や遺族、「赤とんぼ」を題材にした作品を書いた2人の作家らと共に、特攻隊員たちが若い命を散らした沖縄の海を訪ねた。
5月28日、すでに梅雨入りした沖縄は曇り、時折小雨がぱらついた。目的地の慶良間諸島周辺の空は、晴れ間はあるが低いところに雲が残り、飛行機は揺れが予想された。
作家の古川薫(90)=山口県在住=、諫早市出身の作家、レイコ・クルック(80)=パリ在住=はじめ、元海軍兵や遺族ら10人は、それぞれの思いを抱いて、海上自衛隊那覇航空基地のP3C哨戒機に乗り込んだ。那覇空港を離陸し、海上約数百メートルの低い高度で飛行。那覇市の西方約40キロの海域に位置する慶良間諸島を目指した。
終戦直前の1945年7月28日深夜、九三式中間練習機(赤とんぼ)で編成された神風特別攻撃隊第3次龍虎隊の7人が、それぞれ250キロの爆弾を積み、宮古島基地から出撃。慶良間諸島沖に集結した米艦隊に体当たり攻撃した。速度は零式艦上戦闘機(ゼロ戦)よりはるかに遅く、布張りの練習機であるにもかかわらず、米駆逐艦「キャラハン」を乗組員47人と共に撃沈(戦後の米軍発表)するなど、大きな戦果を挙げた。だが、それは「赤とんぼ」での特攻の唯一の戦果となった。
曇り空の下、窓の外に波静かな海が広がる。渡嘉敷島、座間味島、阿嘉島をはじめ大小の島々が点在する。緑豊かな島々を縁取る白い砂浜が間近に見下ろせた。
古川は、操縦室の窓から無言で海を見つめていた。戦時中「赤とんぼ」の製作、修理に携わっていた古川の胸に、去来する思いがあった。(文中敬称略)