長崎原爆被災者協議会長 谷口稜曄さん(86) 希望胸に「力振り絞る」
「2015・4・23~5・1ニューヨーク(国連)」。手帳に挟んでいる1枚のメモ用紙。1961年から、治療を受けたり被爆体験を語ったりするため海外渡航した際の期間と国名を一覧にしている。今回で24回目になる。
メモを眺めながら、かつて共に活動した仲間たちの顔が浮かぶ。山口仙二さん、片岡ツヨさん…。ここ数年、次々とこの世を去った。「原爆でひどい傷を負いながら被爆者運動を当初から続けているのは、もう私くらいだろう」
5年前、米ニューヨークの国連本部であった核拡散防止条約(NPT)再検討会議の非政府組織(NGO)セッション。各国代表ら約400人を前に壇上に立ち、背中が真っ赤に焼けた少年時代の自分のカラー写真を掲げた。「誰一人として、私が生きられると予想する人はいなかった」。そして、こう続けた。「核兵器がこの世からなくなるのを見届けなければ、安心して死ねない」
被爆者としての強烈なメッセージを発したつもりだった。だが、今も地球上には約1万6千発の核弾頭が存在する。為政者がボタンを押せば、すぐ使われる状態にあるとされる。
昨年は肺炎や椎間板ヘルニアで入院を余儀なくされ、退院後、体を休める時間が多くなった。それでも渡米を決めた。18日、長崎市内であった壮行会で「私も長くは運動を続けられないだろう。ヒバクシャを再びつくらないため、亡くなった被爆者の思いまでしっかり伝えてくる」と誓った。
ニューヨークでは24日午後(日本時間25日朝)、NGO主催の国際会議でスピーチする。5年前に掲げたあの写真を持参。より力強い言葉で核の残虐性を伝えるつもりだ。
被爆70年。「安心」はしていない。今回の再検討会議の行方も厳しい見方が先行している。しかし核兵器の非人道性に共感する国々は着実に増えており、核兵器禁止に向けて追い風になると期待も抱いている。
「希望を胸に、最後の力を振り絞る」。22日、仲間の見送りを受け、笑顔で長崎をたった。