多面的被害浮き彫り
被爆70年に合わせ、長崎新聞社が県内と米国の被爆者団体などの協力を得て実施した被爆者アンケート(回答者388人)。記述式4問のうち、「被爆して一番つらかったと思うことはなんですか」の設問では、多様な辛苦を経験した被爆者に原爆がもたらした最も悲しい記憶を聞くこととなった。家族や友人の死、差別、病や貧困-。回答欄の多数の記述から、核兵器被害の多面的な実相が浮かび上がった。今回、この設問に絞って特集する。
また、1日付10、11面で掲載した「核兵器廃絶は可能か」など選択式6問について、クロス集計などから見えてきたことをまとめた。
(記述式設問の残り3問、▽被爆者や戦争体験者が減っていく中での不安▽関係が冷え込んでいる隣国への日本政府の対応▽次世代に伝えたいこと-については後日詳報します)
■虐殺の風景 水あげられず後悔
米国が長崎に投下した原爆は、熱線、爆風、放射線で市民を無差別に殺傷。広範囲に火災を起こし、放射性物質の毒をばらまいた。虐殺の風景を目撃した被爆者は、今もその記憶に苦しむ。負傷者に水をあげなかったことを70年間、後悔し続ける姿もある。
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「すさまじい被爆の現場。亡くなった人たちの様子。とても口では言い表せない」(84歳女性)
「人が目の前でどんどん死んでいった」(91歳女性)
「一度にたくさんの人が目の前で亡くなっていく姿を見たこと」(90歳女性)
「あの爆弾のすさまじい勢い。人も生物も残らず枯れてしまう」(83歳男性)
「帰る道もない。みんな死んでいる。どっちに行っても、どこか分からない。案内する人の手を離したらもう終わり」(86歳女性)
「当時、水をもっと飲ませてあげればよかった。水を飲ませなくても、どんどん人は死んだ」(87歳女性)
「原爆投下の翌日、長崎駅から道ノ尾駅まで歩いたときに目にした光景を忘れることができず、自分の人生と重ね、亡くなった人の人生を考えるとき、悲しみが込み上げてくる」(82歳女性)
■肉親との死別 人生に大きな困難もたらす
回答で多かったのは、原爆で肉親を失った悲しみ。加えて、生き残った当時の子どもたちは孤児になったり親戚に預けられたりした。その後の人生が大きな困難を伴ったこともうかがえる。
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「兄弟5人が8月19日までに死亡、1人になった」(81歳男性)
「被爆して姉を亡くしたこと」(85歳女性)
「家が焼けて、母が亡くなったこと」(84歳女性)
「被爆で姉2人が死んだこと」(77歳男性)
「両親と兄姉、3カ月の弟を亡くしたことが一番悲しいです」(80歳女性)
「両親を亡くし、姉妹5人が別々の親戚に育てられた」(78歳女性)
「母を原爆でなくし孤児になり苦労した」(74歳男性)
「父は原爆で即死。母は5年後に病気で死亡し、私たち兄弟5人、親なし子で祖父母に育てられました。悲しかったです」(79歳女性)
「若年時に被爆。父兄親族も直爆し、母子家庭により、貧困生活と差別が続いた」(79歳男性)
「孤児になって人の世話になり、自己主張が制限された」(82歳男性)
■健康被害 生活困窮へと直結
原爆の人的被害は、近距離では黒焦げの焼死や多量の放射線の全身照射による死亡。生存者も、放射線とやけど、外傷との相乗作用による障害で命を奪われたり、苦しみ続けた。さらに放射線は長い時間をかけて、人体組織を破壊。造血組織や生殖腺などに影響を与え続けた。健康悪化や被爆との因果関係に不安を抱え続けた日々をつづった人も少なくない。さらに健康被害で十分働けない状況は、生活困窮へと直結した。
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「頭痛、四肢のしびれ、視力の低下といった体調不良がすさまじく、本当につらかった」(93歳女性)
「体にケロイドが残っていること。少年時代は夏衣姿はあまりしたくなかった」(82歳男性)
「9月17日から登校したが体調が優れず、原爆症を疑い、不安の日々が続き、不眠症となり約500日間悩み続けた」(85歳、男性)
「14歳にして運動機能の極端な減退を感じた」(83歳男性)
「被爆したことで糖尿病、肝機能障害、血流障害など病気にかかったこと」(84歳男性)
「病気と生活苦の中で生きてきたこと」(84歳男性)
「顔や頭に傷があり、いまだに心に悲しい思いがある。頭の傷は髪の毛で何とか隠れているが、いつも気になっている」(71歳女性)
「体が弱い原因が被爆のせいか、いやそうとは言えないと悩んできた」(70歳男性)
「原爆病の発症がいつ表れるのかと不安があったころ」(84歳女性)
「いつ何時被爆による障害が出てくるか不安があった。最近、障害がどんどん出てきた」(71歳男性)
「父は重傷を負った(宝町付近)。職場に復帰できず無収入の家族になった(祖母、両親兄弟姉妹5人)。毎日の生活がとても苦しかった。戦争は生活をも破壊する」(81歳男性)
■差別 公的援護を阻む
戦後、「被爆は伝染する」などのうわさが広がり、特に結婚時の苦悩が大きかった。差別は孤立につながり、差別への恐れを背景とした被爆の秘匿は、援護を公に求めることができない状況を生み出した。原爆被害の中で、「差別」は大きな特徴の一つだ。
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「結婚を前提にお付き合いしていた相手の親から身元調査され、被爆者は伝染病だからと大反対された」(70歳女性)
「戦後かなりの年月、被爆は伝染するなどとうわさが流れた。私の上に3人の姉がいたので、両親は結婚のことなど考えたのか被爆者手帳の申請が遅かった」(75歳男性)
「被爆者(の男性)に嫁に行く者はいないと言われていた」(86歳男性)
「他県では原爆がうつると差別された」(76歳男性)
「当時被爆した女性たちは、相手も被爆者でない限り結婚できない人たちとみられた。被爆者であることを長い年月、隠していた人たちもいた」(88歳、女性)
「6人姉妹だったので結婚にひびくと思い、原爆に遭ったことを隠していた。そのために原爆手帳の申請も遅れました」(70歳女性)
「婚姻の時」(76歳女性)
「子どもの就職、結婚、孫の誕生」(74歳女性)
「被爆者であるという理由で結婚を断られたこともある」(79歳男性)
「病気するたびに障害が出ないかと心配した。結婚できないか不安で、被爆者であることを隠していた」(85歳男性)
■喪失感 癒えることのない心の傷
肉親、友人、知人を亡くした喪失感、無常感-。癒えることのない深い心の傷を引きずりながら、被爆者は生きてきた。
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「家族を失ったことを常に寂しく感じていた」(77歳男性)
「家族をなくし独りぼっちになった」(74歳女性)
「父兄弟が被爆し、父と弟が1カ月ほどで他界したこと。ある意味では私たちの人生に大きな変化だった」(79歳男性)
「苦しみ死んだ姉のことが忘れられない」(82歳男性)
「知人、友人を失った」(86歳女性)
「友達と別れ別れになった」(84歳女性)
「友人がほとんどいなくなった」(79歳男性)
■次世代への影響 親として苦悶の日々
戦後生まれのわが子への被爆の健康影響。あるいはその可能性への不安。わが子にかぶさるかもしれない差別。親として苦悶(くもん)の日々が続いた。
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「流産の時、原爆を受けたせいだと何回も繰り返して言われたこと」(88歳女性)
「次男が白血病で亡くなったこと。私の母体からの放射線が、2世に影響を残しかねないとあらためて知ったこと」(90歳女性)
「原爆に遭った人となって、どのような子どもが生まれるか一番怖かったです」(81歳女性)
「子ども(7歳)を急性骨髄性白血病で亡くしたこと」(84歳男性)
◎選択式設問 相関関係など分析/継承信じ 体験話す/「核の傘」依存と集団的自衛権 反対姿勢に共通点
被爆者アンケートの選択式設問の集計結果を基に、被爆体験を話したかどうかといった行動面や、日本の安全保障政策に対する考えの相関関係などを分析した。
「体験を最近話した」と答えた層の83・3%が被爆の記憶について「被爆2世や市民らが伝えていくことができる」と、継承に肯定的な見方を示した。多くが継承を信じ、あるいは願って被爆体験を話していると考えられる。「伝えていくことができる」とする理由は「高校生が私の話に耳を傾けてくれた」(70歳女性)「絶対に伝えていかなければならない」(87歳男性)など。「大学生の話を聞き、胸に響いた」(71歳女性)と若者の活動に勇気づけられたとの意見も目立った。
一方、被爆の記憶の継承について「できると思わない」と答えた層の71・4%が、被爆体験を最近話していないと回答。被爆体験の壮絶さなどを背景に「体験しないと伝えるのは難しい」(74歳女性)といった意識が働いているようだ。
国際情勢を踏まえた核兵器廃絶に対する考えと、「核の傘」や集団的自衛権の行使容認といった日本の安全保障政策への受け止めについては一定の共通点がみられた。米国の核抑止力に依存する「核の傘」からの脱却を求める層のうち86・5%が行使容認に反対姿勢、55・1%が核兵器廃絶は可能との見方を示した。
在米被爆者18人では、半数が被爆体験を最近話したと回答。家族や友人、会合の場などで話している。特徴的だったのは、日本政府に「核の傘」堅持を求める層が半数を占め、県内など回答者全体(388人)の27・6%に比べて高い割合。理由としては中国や北朝鮮の軍事的脅威が目立った。集団的自衛権については推進、反対、「分からない」がほぼ同数。
長崎新聞社が2010年に実施した被爆者アンケートの集計結果(回答者102人)とも比較してみた。「核兵器廃絶は可能だと思うか」の設問では「はい」との回答が10年の31%に対し、14年は32・2%と微増。逆に「いいえ」との回答は10年の39%から31・2%に減少した。オバマ米大統領が09年のプラハ演説で提唱した「核兵器なき世界」への期待感が膨らんだ10年当時と核情勢に大きな変化はないが、そうした中にあっても廃絶への強い願いが数字に垣間見える。
被爆体験を最近話したかの問いでは、10年は85%が「はい」と答えたが、14年は55・7%と大きく減少。高齢化に伴い、体験の記憶がない被爆者の割合は今後高まり、直接体験を聞く機会はさらに減るとみられる。