街並みと服装に変化 「どんな日本に」期待大きく
道向市昭(70)の父實(2011年95歳で死去)のカメラ歴は60年以上。被爆地長崎で何げない日常にもシャッターを切り続けた。
籠を担ぐ3人の女性の写真は、1956年の撮影。場所は長崎市の眼鏡橋付近。長崎平和推進協会写真資料調査部会の堀田武弘(72)は「当時は茂木や網場から生鮮食品を籠いっぱいに詰めて売りに来る女性たちがいた」と解説する。
現在の眼鏡橋付近と比べ、道幅が広いようにも見える。堀田によると戦時中、空襲で火災が広がるのを防ぐため建築物を撤去した「建物疎開」の名残で更地が多かったらしい。
55年以降の日本は、高度経済成長で活気づいた。浜町の中央橋交差点付近で電車通りを写した1枚は、61年ごろの撮影。眼鏡橋付近の写真からわずか5年で、街並みも人の服装も変わった。ビルが建ち、街は近代化。車も多く走っている。女性の服装は、もんぺからしゃれたスカートやコートに変わり、満面の笑みが印象的だ。
市昭は当時の生活の変化を振り返り、「どんな日本になっていくのか、期待は大きかった」と語る。
父の写真で、あらためて長崎の復興過程に思いをはせる。「今の長崎まで発展したのは、父の世代の努力があったから」
被爆世代は、まちを再建し「二度と過ちを繰り返さない」と誓った。だが戦後69年、国民に受け継がれた決意は今、揺らいでいるようにも市昭は感じる。「孫の時代はどうなるのだろうか」。せっかく手にした平和を手放したくない。市昭は、父が残した写真にそっと視線を落とした。
(文中敬称略)