被爆70年へ 長崎の記憶 写真が語る戦前~戦後 第3部「よみがえる絆」
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被爆70年へ 長崎の記憶 写真が語る戦前~戦後 第3部「よみがえる絆」 4 草野忠良さん=福岡市早良区= 女性の躍動感を表現

2014/03/27 掲載

被爆70年へ 長崎の記憶 写真が語る戦前~戦後 第3部「よみがえる絆」
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草野忠良さん=福岡市早良区= 女性の躍動感を表現

電車通りを小走りで渡る女性、そして1台のモダンな車。1950年夏ごろの長崎市桜馬場町(当時)。「街には大ヒットしていた並木路子の『リンゴの唄』が流れ、人通りも増えていた時代だった」。撮影者の草野忠良(80)=福岡市早良区=は当時、長崎東高2年生。「夕暮れ時に爽やかに駆ける女性の躍動感を表現できてうれしかった」と振り返る。

平戸で生まれ、長崎で小学時代を過ごした草野は42年、父の転勤で鳥取に移り、さらに46年に群馬に引っ越した。長崎に帰ってきたのは48年ごろ。

両親、3人の弟敦夫、民三、章次の6人家族。ちゃぶ台を囲み、母の手料理を食べながら何でも語り合った。「服は着回し。食べ物も粗末だったが家族の絆が強く、私にとって最も充実した時代だった」

医師になり、メールを始めたのは数年前。九州や関西などに散らばった兄弟間でやりとりするようになり、保管している昔の写真を添付して見せ合うのが楽しみになった。

昨年、静岡に住む章次が長崎新聞社のホームページで「『長崎の記憶』写真募集」の告知を見つけ、知らせてきた。

草野は電車通りで撮ったお気に入りの一枚を思い出し、家のアルバムを探したが見つからない。「あの写真を知らないか」。弟たちにメールで尋ねた。やがて京都に住む民三の返信メールにその写真が添付されていた。「タイムトンネルを一瞬で逆走した」。当時の情景、感情が想起され、目頭が熱くなった。

撮影した場所の近くには、米原爆傷害調査委員会(ABCC)の事務所や消防署があった。「まだ小さかった弟たちの遊び場だったなあ」

今回、写真の場所の特定は、長崎平和推進協会写真資料調査部会(深堀好敏会長)の丸田和男(82)が協力。当時、桜馬場町に住んでいた丸田によると、草野が撮影した位置の左手にABCCがあった。「自家用車は当時少なく、車はABCCのもの」と推測する。

「戦前、戦中、戦後と引っ越しが多い家族だった」と草野。歳月の中、ばらばらに暮らすようになったが、一枚の写真が兄弟たちをつないだ。=文中敬称略=