罹災証明書と関連資料(下) 奪われた家族の日常
長崎原爆で家族9人のうち7人の命を奪われた被爆者の松井清さん(83)=神戸市在住=は、長崎原爆資料館に罹災(りさい)証明書と共に、妹たちの通知表や賞状、父の徴用告知、工場の任命書なども寄贈した。
「性格成績共ニ良好四年モ今ノ気持チ態度デ進マレタシ」-。清さんの妹、照子さんの西浦上国民学校3、4年時の通知表だ。学業優秀で「優」が並ぶ。4年時の身長は122・5センチ、体重22・6キロ、視力はどちらも0・5。副級長は3年の3学期と、4年の2学期に務めた。任命書も残っている。
原爆投下時は11歳で5年生。自宅近くの戸外に妹たちといて被爆し、救援列車で救護所に運ばれたが当日深夜に亡くなった。
その下の妹節子さんの同校2年時の通知表。無欠席だったことや国民科の成績がよくなったことが分かる。「算数ヲモ少シ」、体錬科は「元気ヲ出シテ」と教師が書いている。身長116・2センチ、体重20・4キロ。9歳で3年生のとき、戸外で被爆し当日死去。その下の妹の6歳の正子さん、3歳の邦子ちゃんも亡くなった。
照子さんや節子さんの通知表を開いた両親は、すごく褒めたかもしれない。2人は、はにかみながら笑ったかもしれない。戦時下を子どもも大人も懸命に生きていた。
同館学芸員の奥野正太郎さん(27)はこう語る。
「資料の一群をセットで見てほしい。罹災証明書という核となる資料に登場する家族が、どんな人たちだったのか。通知表をよく見ると、すごく個人的で人間的な情報が詰まっている。身長、体重も含めて生身の人をイメージできる。あの日まで家族の生活が確かにあった。原爆が人間の命と生活を奪ったことが関連資料によって、よりリアリティーを持って伝えられるのではないか」