被爆68年 史料は語る 長崎原爆資料館収蔵展 1

抽象画「水!!水!!水!!」の前で被爆の記憶を語る西村さん=長崎原爆資料館

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被爆68年 史料は語る 長崎原爆資料館収蔵展 1 被爆者の西村長壽さん 記憶を描く 水を求める白い手

2013/07/11 掲載

被爆68年 史料は語る 長崎原爆資料館収蔵展 1

抽象画「水!!水!!水!!」の前で被爆の記憶を語る西村さん=長崎原爆資料館

被爆者の西村長壽さん 記憶を描く 水を求める白い手

長崎市平野町の長崎原爆資料館で10日、この1年間に市民から提供された長崎原爆関連の被災資料を中心に公開する収蔵資料展(8月28日まで、無料)が始まった。計約70点を展示。1945年9月撮影の長崎の写真、罹災(りさい)証明書と関連資料、被爆者の絵などを通じ、68年前の実相に迫っている。ピックアップして紹介する。

初日の会場に長崎原爆被爆者、西村長壽(ながとし)さん(86)=京都市在住=の姿があった。展示された抽象画の油絵「水!!水!!水!!」(横116・7センチ、縦91センチ)の制作者。昨年11月に描いた。

被爆当時、長崎医科大付属薬学専門部1年で18歳。三菱長崎兵器製作所大橋工場に学徒動員され、魚雷製造の鋳造工場で、裸に近い姿で銅合金を溶かす作業中だった。被爆の瞬間、材木などの下敷きになり、頭を大けが、やけどを負った。

絵画は70歳から。近年、がんを患い、心に残る原爆のイメージを描き残そうと取り組んだ。水を噴き出す蛇口、炎と白い手、犬-。

「ものすごい数の人が川で死んでいた。ぼくも水が欲しかった。顔を腫らした小さな子が壊れた水道管の蛇口に両手を差し出し『お兄ちゃん水ば』と言っていた」。被爆前夜の静寂の中、犬の遠ぼえが響いていたこと、人は死ぬ前に手が白くなるのも忘れられない。城山の自宅にいた母は遺骨さえ見つからなかった。西村さんは「この絵の中にお母さんがいる」と語った。

2002年に寄贈した具象画の5点も展示。工場でよく会った一人の女子の絵は、被爆前と後の姿を描いた。この女子はやけどで皮膚がはがれ、手を引っ張ったらずるっとむけた。でも「連れてってと言った」。

被爆の記憶が刻まれた絵。同館学芸員の奥野正太郎さん(27)は「亡くなっていく被爆者をどう伝えていくのかという危機感がある。(絵を含め)被爆者の思いに関わる部分まで深く資料収集していきたい」と話している。