ノーモア 山口仙二さんが遺したもの 下

被爆2世への期待を込めた山口仙二さんからの手紙=長崎市岡町、長崎被災協

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ノーモア 山口仙二さんが遺したもの 下 被爆2世 「がんばりましょう」 力に 不安と向き合い進む

2013/07/11 掲載

ノーモア 山口仙二さんが遺したもの 下

被爆2世への期待を込めた山口仙二さんからの手紙=長崎市岡町、長崎被災協

被爆2世 「がんばりましょう」 力に 不安と向き合い進む

「二世の会をつくられたのは大変だったと思います。がんばりましょう」

2012年6月、生前の山口仙二さん(6日死去)から長崎原爆被災者協議会(長崎被災協)事務局次長で被爆2世、柿田富美枝さん(59)に届いた手紙。そこには被爆2世への期待がつづられていた。

20年前から長崎被災協に勤めている柿田さんは、会長時代の山口さんを支えた。「被爆者の苦しみを情熱的に訴える表舞台とは対照的に、事務所では誰にでも笑顔で接する姿が忘れられない」としのぶ。

山口さんが長崎から雲仙のケアハウスに移った10年前、柿田さんは2世の集まりを企画したが、1人しか集まらなかった。しかしその後、被爆者の高齢化を受けて全国各地に2世団体が誕生。さらに11年3月の福島第1原発事故で放射線や被ばくの不安が広がる中、12年5月、「長崎被災協・被爆二世の会・長崎」が発足。日本原水爆被害者団体協議会(被団協)内にも「二世委員会」ができた。

柿田さんは同年8月、山口さんの被爆証言を映像に収めようとケアハウスを訪れたが、うまく聞き取りができなかった。89歳の母親にも被爆時の状況をもっと詳しく教えてもらいたいと思う。でも、高齢となった今ではかなり難しい。「もう少し早く動きだしていれば」。後悔するうち、山口さんは逝ってしまった。

想像を絶する被爆者の体験や思いを、2世としてどう受け止めていけばいいのか、山口さんは2世がどういう立場で何に向かって進むことを期待したのか。模索は始まったばかりだ。ただ、当事者として気掛かりなことはある。科学的に証明されていないという被爆の遺伝的影響、次世代の健康問題だ。

10日、柿田さんは山口さんの手紙を読み返した。力強い文字。「ノーモア・ヒバクシャ」と叫んだ姿を想起させ、勇気をもらった気がした。「2世、3世と続く不安に向き合いながら、被爆者が道を開いてきた運動を少しずつ引き継いでいきたい」。柿田さんはそう考えている。